アラ・ハバキの「道の奥」廻り

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zoom RSS アツカシ山周辺への旅A

<<   作成日時 : 2017/04/15 09:10   >>

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白石市内から福島市へむかう国道四号線には「春の交通安全運動」にたずさわる人たちが立っていた。新学期が始まった市街地だけかなと思っていたら、郊外でも手にノボリをもって振っている。

福島県にはいって国見町、桑折町とすぎ福島市内の鎌田あたりですこし渋滞気味になったが、なんなく市街地の南にある弁天山にたどりついた。途中、花見山への大きな案内板が立っていた。


南がわの麓からやや狭い道をまわると東口駐車場があり、数台の先客がいた。
ここから展望台をめざして上る道はいくつもあり選びほうだいなほどだが、東に花見山と思われる山をながめながらゆっくりと行く。「安寿と厨子王」伝説の説明板などを読みながらでもすぐにたどりついた。
南から見る福島市街地が阿武隈川にかかる大仏橋のむこうに手にとるように近い。信夫山がそのむこうにぽっかりと浮かんでいた。


さて、次は「石那坂」探しである。
文治五年(1189)8月の奥州合戦は、石那坂とアツカシ山の攻防から始まった。その石那坂の場所には諸説があり、現在でも定まっていないという。

国道四号線を南にむかい、松川町地内から右折して福島大のまえから東北本線金谷川駅にでた。このあたりは松川町関谷といい諸説の一つである。

近世の奥州街道は福島大の東をいくが、中世は西であったようだ。諸説の場所に比定される平石小や陽泰寺あたりから東北自動車道や東北本線、東北新幹線を見る。地図をみるとそのむこうには国道四号線がちかい。対向できないような細い道を上ったりしていると、そうかなと見える場所もあるがどうだろう?
両鉄路をくぐり永井川から伏拝にでると国道四号線。北へいった共楽公園も諸説のひとつにあげられているのでまわりをめぐったが上がる道がわからない。

残念ながら『石那坂』の地の確信がもてないまま、飯坂温泉にある大鳥城跡へクルマをはしらせる。

福島西道路から万世大路、そして東北道をくぐり福島交通飯坂線にそって温泉街にでる。
ひとめぐりして市役所支所にでると史跡案内図があり、それを参考に大鳥城跡へいくと、ここ「館ノ山公園」は花ももの里でもあってわりと観光客がきていた。ここからは広々とした信夫山の北がわが眺望できる。

大鳥城跡もまた「石那坂」の諸説のひとつに比定されているらしい。


<福島市広域図>
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<弁天山から>
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<平石小後背地>
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<飯坂地区史跡案内板から>
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<大鳥城跡から>
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飯坂温泉から国道四号線にでて桑折町で給油したあと、旧奥州街道を北へ向かった。
ここに青森市油川までの旧羽州街道との追分がある。まっすぐだった旧奥州街道は国見町地内の旧藤田宿で曲りをみせたあと国道四号線に吸収された。

アツカシ山は阿津賀志と厚樫の二文字で表記される。そのふもとに「旧奥州道中国見峠長坂跡」の案内板があり、
−文治五年(1189)の奥州合戦(略)古戦場であり、−ついで、芭蕉の旅もこの道である。と記してあった。

阿津賀志山展望台への道は整備されている。
国見から大木戸へ抜ける道の分岐からすぐに駐車場があり、そこから数分も歩けば展望台につく。工作物の展望台もふくめ300mほどの高さになっているようで、さすがに見晴らしがいい。
西がわにある南北につらなる嶺もちかく、よくみえる。

それにしても東北道、東北新幹線、東北本線、国道四号線そして阿武隈川と南北によくもそろったものだ。


<阿津賀志山展望台から@>
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<阿津賀志山展望台からA>
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<阿津賀志山周辺マップ>
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国見町から国道四号線を北上して宮城県蔵王町にはいる。

この町の根無藤(ねなしふじ)から四方坂にかけては阿津賀志山につづく戦いがあったところで、宮地区と町役場のある永野をへて遠刈田温泉へむかうと、その途中から右折そして左折したあたりが根無藤地区のはず。
地名を表示したものが見あたらないので根無藤が特定できず、さきにすすんで旧宿場だった花町地区から山中にむかい、史跡保存されている旧羽前街道までいってみた。四方坂への旧道にすこしだけ足を踏み入れて、手作り感のある案内板と保存されている一部分をみてひきかえす。

来た道をもどって一戦場(いっせんば)とおもわれる地区の県道わきにサクラ?の古木があり、その根元にあるのは供養塔のようにみえた。ちかづいて文字をさがしたが磨滅したものかなんにも見えない。これが「首塚」なのだろうか?


<蔵王町マップ>
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<一戦場の古木と供養塔?>
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今日一日快晴にめぐまれて、それぞれの場所の展望を楽しむことができた。まだ日暮れには時間があるので国見町までもどり、小坂越えをすることにした。

国見町の旧藤田宿から右折して羽州街道(七ヶ宿街道)の宿場町小坂にはいる。
ここから急激に上る道が小坂峠で古くは鳥取越えといった。この道は阿津賀志の戦いの帰趨をきめた別働隊がとおった山中越えの迂回路といわれている。

さすがにクルマでも苦しい上りと曲りがつづいていた。これが車道でこうなのだから往時の道は断崖をいくようなもののように思える。峠にでるとここが県境で閉めた茶店があった。
そのわきから小坂へおりる旧道をみると二本崖下にむかって出ていた。時代がちがう道だという。どちらにしても急激に下る様子に変わりはなかった。

峠から旧戸沢宿をこえて国道113号線へは一転してゆるやかな道だった。


<小坂から小坂峠(鳥取越え)>
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<小坂峠から>
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