アラ・ハバキの「道の奥」廻り

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zoom RSS 出羽へ、いにしえの出羽の国

<<   作成日時 : 2017/05/22 09:55   >>

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 朝、鶴岡城跡・市役所などのある鶴岡市中心部をぬけて羽黒山へむかう道は、おもったより空いていた。
 
 
 道路標示板がしめすとおりにはしり、大きな鳥居をすぎてまもなく手向(とうげ)地区につくと、旧道の宿坊街にあ黄金堂(こがね)は幟がにぎやかにはためいていてすぐにそれとわかる。黄金堂(羽黒山荒沢寺正善院)は建久4年(1193)に源頼朝が平泉藤原氏攻略の御礼に建立し、その奉行をした御家人土肥実平の墓が井岡寺にあるという伝承がある。

 ちかくに史蹟蝦夷館公園があって、散策路にはサクラの花びらがしかれ、フジ棚は色づきはじめていた。


 昨日までの雨はあがり、藤島城址についたころは暖かさも増してきていた。
 満開のフジが街のあちらこちらに咲いている。藤島は南北朝の時代、南朝の拠点となった場所だが古代にも出羽国府やそれに属する城柵の歴史があるという。

 城址のちかくには名犬ハチ公の像をかざる公園があった。

 藤島駅のわきの細い道をいき、踏切をわたると田園風景とかわり、ここに平形館跡が史跡として保存されていた。このあたりはまた往古、出羽国府があったらしいが、平形館跡の案内板にはふれられていない。


<鶴岡〜酒田めぐりマップ>
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<黄金堂>
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<藤島町案内図>
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<藤島城址とフジの花>
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 藤島町からR345で狩川をへてG/Sによったあと最上川を庄内橋でわたり、松山町をかすめて酒田市八幡(やわた)町へいき、長い道中だったのでまずは八森自然公園でひとやすみ。

 運動場と花と木を中心に温泉や遊び場があるという公園内の広大さは、城輪柵にあった出羽国府を移転した国庁跡ではないかという八森遺跡をさがすのにとまどうほどだった。


 八森から西へ2kmもあっただろうか?城輪柵跡についた。

 マイクロバス2台と乗用車が3台、駐車場にとめてあり、ちいさな子供たちが見学まえの説明をうけているところにでくわした。

 八森から城輪にかけては平安期出羽の中心だったらしい。今回はよらなかったが、新田目や堂の前という同時代の遺跡が確認されている。
 
 この時代の庄内平野は、最上川、赤川、日向川、月光川等の河川が流れ込む潟のような地形でそれほど人が多くすめる土地ではなかったようだ。飽海郡という名も「アコ(キジハタ)のウミ」からという説もある。そしてこの辺を南北にはしり「大道東」と呼称されていた古い道は、現在のR345がひきついでいるとおもわれる。

 そのR345で遊佐町からR7へ出る途中に月光(がっこう)川をわたった。


<出羽の国を偲ぶ道案内図>
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<城輪柵跡>
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