アラ・ハバキの「道の奥」廻り

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zoom RSS 平泉藤原氏郎従、「照井」歩きA

<<   作成日時 : 2017/06/16 09:25   >>

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 町村合併で大崎市となっている古川の中心部からは、やや南にあるホテルを7:30にでて、ときどき小雨がふるなか仙台BPをはしると、さすがにクルマは多かったが渋滞というほどではなかった。


 大河原町にはいってまずは国道四号線そばにある大高山神社へいくと、小高い丘の下では数人が草刈り仕事に従事していた。石段をあがって境内にある「泉三郎」ゆかりの鉄九輪塔をみてから、裏にまわって道をくだると旧奥州街道にでた。
 クルマにもどって大高山遊歩道にちかい高みに上り、「照井太郎」が鎌倉軍と対峙した韮神(にらかみ)山を眺望する。すこし雨がひどくなってきたので近くにある家電量販店にはいって雨やどり。

 まもなく雨はあがって、金ヶ瀬集落の奥手にある香林寺にいくと、そこには「照井太郎の位牌」を洞秀院から引き継いで安置していると説明板があった。

 東北新幹線が南北にはしっている西方の山手にある小山田城跡の登り口を勘違いしたらしくみつけられず断念し、中世の山城のように小高くなっている馬取山公園へまわると、ここからみる韮神山はだいぶ近い。
 公園をおりてすぐに、「国衡終焉の地」と伝わる馬取田(まとりだ)があり、そばには休み石という江戸期の史跡もあった。
 ここから国道四号線にでる途中で赤い鳥居が目にはいったので立寄ると、ここが大高山神社の旧地だったが、もっとふるくは台ノ山というところにあったと書いてあった。


 大川原町近辺の「照井歩き」をきりあげて国道四号線を北に向かい、名取市の「藤原実方史跡」を訪ねてから新宮寺へ寄ったあとの那智山へ左折した道は、那智ヶ丘というニュータウンのなかを予想以上に高度をあげる道だった。
 すぐそばにある高舘城が標高204mというから熊野那智神社の境内もそれぐらいだろうが、ここからは名取市街から太平洋まで一望できるよう展望台まえは伐採してあった。



 国道286号線へでて、東北道仙台南ICから古川ICまでいっきに走り、鳴子温泉方面へむかってまずは大崎八幡を訪ねると「秀衡の臣 照井がまつりし 大崎八幡」と大きな標示が立ててあった。
 ここは、むかしは江合川が境内地のすぐ背後まできていたのではないだろうか、と想像される地にあった。

 「奥の細道湯けむりライン」の西大崎駅を目印にして、「秀衡の臣」照井太郎の居城と伝わる丸山城(べつに照井城とも)探しは手間がかかった。
 この山だろうと、東がわをうろうろし、さらに西へまわって大崎西小から施設「太陽の村」への農道をいってみたが目のまえにある横長の山がそうだという確信がもてなかった。
 案内板が設置されているはずなのにみつからない。

 らちがあかないので、岩出山町内の来迎寺を訪ねてから、もういちど丸山へもどった。
 やむをえないからと、施設の建物の裏手にまで足をのばして、ようやく「照井がきずきし丸山城」の案内板にめぐりあった。

 玉造郡多加波ゝ(たかはば)城は文治五年の奥州合戦にでてくる地名だが、いまの葛岡にあたるという。
 岩出山から県道17号線をなぞってみたが、ひっかかりはなく一迫真坂まで出たところであきらめ、国道四号線の栗原市築館へむかった。



<大川原町マップ> 
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<馬取山から韮神山方面>
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<那智神社境内から>
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<照井がまつりし大崎八幡>
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<照井がきずきし丸山城>
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