アラ・ハバキの「道の奥」廻り

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zoom RSS 平泉藤原氏郎従、「照井」歩きB

<<   作成日時 : 2017/06/17 11:48   >>

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昨日までとはうってかわって今朝はぬけるような青空がひろがった。

古川市街から涌谷(わくや)へむかう国道108号線は、そろそろ通勤時間にさしかかっているらしい。小牛田は南北にはしる東北本線と東へ石巻線と西へは陸羽東線が交差する鉄路の町。そして涌谷町にはいると「天平ろまん館」の幟が黄金山神社へクルマを案内してくれた。

開館にはだいぶ早い時間についたので、入館は割愛して「史跡黄金山産金遺跡」の沢をそぞろあるき、静かな境内では東大寺大仏とのつながりの深さをあらわすように建てられた数代管長の訪問碑が目にとまった。


<わくや万葉の里案内マップ>
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<古代産金予想図>
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登米(とめ)市の中心地佐沼(さぬま)へはすこしの峠と旧迫川をこえる。道の駅「よねやま」で休憩したあとの道は迫川に沿っていた。
佐沼城跡(鹿ヶ城)は迫川を外堀にして立地していた。入館料無料の登米市歴史博物館もある。水をぬいた内堀にかかる大手門をわたって城内にはいると、奥まったところに石製の説明板があり、

−佐沼城は文治年間、平泉藤原秀衡の命により照井太郎高直が築いた猛鹿を埋め城の鎮めとしたので鹿城ともいう−

と、その後のあらましが記されていた。


佐沼から旧中田町の石森をこえて石越町の「霜降館」へむかうと、「石ノ森章太郎ふるさと記念館」が道路わきに建ち、すぐ近くには生家もあった。バス停「今堂」というところにめざす館跡の碑があり

−藤原秀衡の家臣金堂駿河守の居城と伝えられている(略)−

とあった。
バス停の「今堂」も碑の「金堂」も「コンドウ」と読んでいいようだ。ほかに「今道」表記の地名とか「金藤」姓もある。


<登米市広域マップ>
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<佐沼城跡>
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<霜降館址>
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登米市から栗原市築館へでて国道四号線を横切り、さらに一迫真坂からは北へむかって姫松館跡へ長距離ドライブ。

この姫松館跡は数か月まえの栗原歩きのさいは雨で立ち入らなかった場所で、平泉藤原氏の臣・井ノ山雅樂之丞が館の主だったと伝えられている。さすがに歩くにはひろすぎてクルマで行けるところまで行って、中心部の高台から一迫川のむこうにある真坂方面を眺望しておわりとした。

栗原寺をめざして県道17号線と42号線をめぐっていたら、上空に飛行物体がみえた。ゆっくりとした動きはグライダーでコイノボリの吹き流しのようなものをくっつけていた。瀬峰飛行場から飛んだものだろう。

道をまがったさきに栗原寺はあらわれた。
だが、そこには「義経伝承」はあっても、探しても「大河次郎兼任」の存在をしめすものはなかった。残念!!

いったん国道四号線にでて、すぐに栗原市岩ケ崎方面への県道に左折し、文治五年の古戦場と伝えられる津久毛橋城跡へむかう。
そこは南に水田がひろがり北は小高い山がふさいでいる地形だった。「津久毛」は「江浦藻(つくも)」からだという、ちかくには生息地の案内板もあったが、花はおわっているようだった。


<姫松館跡から>
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<栗原寺>
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<津久毛橋城跡>
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ふたたび国道四号線にでて、さらに有壁駅まえの道を通って熊口五輪塔をめざした。花泉町との境のところに「熊口五輪塔」の案内板がたち、そこから東北本線の踏切をこえてまもなく到着した。

旧金成町教委の説明版には「有壁五輪塔」とあり、

−(照井太郎)高直は、文治五年(1189)平泉平定に向かう源頼朝を迎え討ち、柴田郡にらかみ山で討死した。そのため妻子が落人となってこの地に辿りつき世をしのぶ身となったが、酒造りを営み、二代照井太郎は次第に富を蓄えて長者となった。里人は、この地をいまも長者屋敷と呼んでいる。(略)−

さらに、経塚の説明もくわえてあった。
やや高みになる森の中にはいると、きれいに草が刈ってありていねいに保存されていた。十和田市洞内にある「法身塚」が思い出されたが、もうすこしさきには咲くだろう紫陽花が何か所かに植えられてもいた。


<有壁・熊口五輪塔>
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一関で給油したあと、この春オープンした道の駅平泉から東山町への山あいの道を行き、田河津矢ノ森金山跡へでた。

「秀衡公ゆかりの金山址 藤壷の滝」の案内板がたっていたので道をまちがえることはなかった。
金山址をみたあと、掲示してあった「伝説 矢ノ森八景」の絵図をたよりに曽我寺址をさがして束稲山(たばしねやま)の中腹付近まで行ったり来たりしたがたどりつけなかった。「八枚」「湯場」はすぐ道端にあったけれども・・・

田河津の集落から北上川へおりていくと、そこは前沢区生母(せいぼ)地区で「伝・母礼(もれ)屋敷跡」まえに出る道だった。


<藤壷の滝・矢ノ森金山址>
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