アラ・ハバキの「道の奥」廻り

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zoom RSS 迷走する古道探し2、花巻ふたたび

<<   作成日時 : 2017/08/10 11:19   >>

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花巻市の山の神地内をとおって旧奥州街道にある同心屋敷手前で合流する岩崎街道を確認することから古道探しを始めた。

南城小学校を起点として、まずは北に向かう。校舎のわきをぬけた道はすぐに原野になって下りはじめた。そこに、白地に黒文字で「旧岩崎街道」と書いた案内板が立っていた。

−ここより南西に向かい、山ノ神・飯豊・門屋・新平(にっぺい)を経て江釣子佐野から和賀川を渡り、岩崎で旧秋田街道に至る全長十五、六キロメートルの街道。江戸時代初期に奥州街道ができるまで本街道と呼ばれていた要路で、東北開拓時代以来の古道である。−

説明の方向は当然ながら、奥州街道と分岐して北から南西に岩崎へむかっている。

案内板をすぎるとまもなく道は上り、旧国道と交差する。その先はアパートのあいだの通路のようになっているが道の形は残っているようだ。やや古そうな一軒家のまえにくると、右手は深い崖となっていて下方はひろく水田がつづき花巻東BPが走っていた。つまり段丘のヘリをとおっている。

畑地や水田にアパートが混在したあと桜町公園となり、同心屋敷にでた。

こんどは南城小学校から南にむきをかえ、新旧の国道や地元をつなぐ道が集まっている山ノ神地内を散策した。
地名の起源となっている山神宮はいまもその真ん中に鎮座している。そのわきを古道は斜めまっすぐに南西と北東を結んでいた。


<花巻市周辺のマップ>
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<岩崎街道>
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<山神宮わきから北方向>
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東北自動車道花巻南ICにほどちかい上根子にある熊野神社へいく。

神社の由来をよむと

−(前略)胆沢城と志和城との距離は一日では到達できない為両城の中間に盤基駅を設けて(略)。その磐基駅が今の熊野であるとされております。(後略)−

とあって、上根子には多くの古墳があり、当時の有位の官人が用いていた物が数多く出土されている、からだと説明していた。

盤基駅の比定地は、新平遺跡などいくつかの説があって難しいことになっているようだ。これから向かう宮野目八丁遺跡もその一つか、という説もあのだ。

文治五年(1189年)に北へむかった道は古代の志和城へつづく道とかさなっている。
どこに「盤基駅」があったかはその道を探るうえで重要なのだが・・・


その宮野目八丁遺跡は花巻空港の北にあって花巻農業高校の敷地となっている。遺跡の南側へいくと「上の山城跡」の案内板が立っていた。

−(前略)この地は「方八丁」という著名な遺跡であり、平安時代初期の蝦夷開拓期(九世紀)の広大なる拠点的集落地であった。(後略)−

古代の遺跡のうえに中世に上の山城が築かれたとあって、盤基駅については触れられていなかった。


宮野目から寺林地内の光林寺まえを北にむかい石鳥谷小学校をめざした。
いまは国道四号線と交差してとぎれているが小学校わきには旧街道がのこっている。そこにも案内板が立ち、

−この南北に溝の状態になっているところが旧街道(旧奥州街道)で鎌倉街道や古街道、弾正下りなどともいわれています。旧街道は、南寺林から中寺林の光林寺の東側を通り、この場所を通って数馬長根を越えて紫波町の犬渕方面に通じていました。(後略)−

「弾正下り」は、豊臣大名の浅野弾正をさすという。数馬長根も人名かな?とおもえるがわからない。
街道端の水田のさきに「好地一里塚」の案内板も立っていた。


<上根子熊野神社>
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<北上川ごしに宮野目方八丁>
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<石鳥谷小学校わきの案内板>
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