アラ・ハバキの「道の奥」廻り

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zoom RSS 七たび、しぐれる山をこえて

<<   作成日時 : 2017/08/30 09:18   >>

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国道四号線の最高地点458mの十三本木峠(中山峠)を越えると南に岩手山が初めてみえる。
地図をみると右手の西岳のむこうに七時雨山がある。そしてまもなく二戸郡一戸町と岩手郡岩手町の境となり、北上川源流の案内板を左にして国道はゆるやかに下りをつづけていた。岩手町にある道の駅「石神の丘」で休憩し、その先から右折して「西根」にクルマをむけた。

合併して八幡平市となった旧西根町の大更と田頭地区の境目にある市役所支所内でいったんクルマを止めたまわりには旧西根町時代に集めた公共の施設が多くあり、ポエトリーパークにはゆかりのある詩人・江間章子の詩碑が建てられていた。

江間章子の詩碑『花の街』

七色の谷を  超えて  流れていく  風のリボン
輪になって  輪になって  かけていったよ
春よ  春よと  かけていったよ


この地方がはじめて正史に現れるのは「日本三大実録」の蝦夷征討に関する元慶2年(878 年)の記録であり、この中に記述されている流霞道(りゅうかどう、ながれしぐれみち)は町域を南北に縦断して寺田地区の北端に位置する現在の七時雨山を経て、陸奥と出羽を結ぶ古代の道路であり、後に鹿角街道と呼ばれる主要街道となった。

旧西根町域の田頭・平舘・寺田の三か所にはそれぞれ中世城館のあった「館山」があり、旧鹿角街道を見下ろしていた。この館山が古代からつづく防御施設が形を変えたものなのかどうかわからない。

<旧鹿角街道周辺マップ>
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<田頭館山 (館山公園)>
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<平舘館山(平舘城跡)>
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旧西根町の北にある旧松尾村の「松尾」名の由来は「山奥へ行くところに沼のある」という意味を持つアイヌ語『マトウ』が転化したものという説と、魔物が棲む限界の地「摩地尾」が転化したものという説があるそうで、そんな伝承をほうふつさせる長者屋敷公園(長嶺神社)へいくと、15分〜20分のあいだに3台だったか4台だったかポリタンクを数個づつ持参した人たちが湧水を汲みにきていた。

 ここに古代の伝承もあって、胆沢の「阿弖流為(アテルイ)」と長者伝説を描いた絵がかかげてあった。

<長者屋敷公園の絵>
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 中松尾から寺田へむかって広域農道をいく。
迷いながらもなんとか間館集落から子飼沢の民家のはずれまではいってみる。この地には平安期の高地性集落跡「子飼沢山遺跡」があり、ここから五所川原窯跡群で生産された須恵器の出土があったそうだが地図でみたようにだいぶ山深い場所だ。この地が1000年も前に奥羽山脈を隔てた北方の地域とも交流を持っていたとは・・・

もう一つの平安期の高地性集落跡「暮坪(くれつぼ)遺跡」は、涼川(すずしがわ)の右岸の道から暮坪川の左岸を奥山にはいる。杉滝神社をこえるとまもなく数軒の民家がみえた。このさきは工事中となっていが、地形図とくらべると目の前の横長い小山が暮坪山につづく山のようにみえる。


<間館集落から子飼沢方面>
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<暮坪集落からみえる奥山>
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上野口橋までもどり県道12号線をいくと新田集落のさきに古い由緒を伝える白坂観音堂がある。まもなく七時雨鉱泉の看板がみえ、向かい合う「七時雨地区体験観光施設」についた。

ここにも江間章子の「しぐれる山」詩碑が建てられている。

<しぐれる山詩碑>
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