アラ・ハバキの「道の奥」廻り

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zoom RSS 鶴形、二井田、向能代から能代北へ 2

<<   作成日時 : 2017/10/01 09:57  

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機織轌ノ目(はたおりそりのめ)やら鰄渕(かいらげぶち)などの難読な地名を話題にし、悪戸って八戸にも弘前にも同じ名があるなぁなどと言いながら米代川をわたり、向能代の中心部をとおりすぎて東雲(しののめ)の台地に上がる道を北へむかった。


東雲原は戦前からの開拓地だったが陸軍の演習場、さらに飛行場となるほどの広い台地で戦後は外地からの引揚げ者を中心に次々と入植者が増えた。


その北端までいくと道路わきのやや下に鳥居があり、杉沢稲荷神社とあった。やや草深くなったちいさな境内地に菅江真澄の歌碑が建てられている。

菅江真澄の「浦の笛滝」と題する紀行は、文化3年(1806)に能代の住吉社の藤の花を観賞し、能代の友人と廻ったもので「鸛(こうのとり)が梢に群れ、朱鷺(とき)の巣ごもりでその声がうるさいほど」だったとこのあたりの光景を描写している。


ここから見える距離に国史跡の杉沢台遺跡がある。縄文時代から平安期にかけての大規模な集落跡で、その住居跡はアジサイを植えて大きさが示されている。

遺跡のわきから道はくだり、杉沢川の流れをわたった先に二つの小高い森が目のまえにあった。これが中世の城館跡「平泉館跡」で北側にまわると黒御影石の標柱がたっていたが、説明板はみあたらなかった。


<東雲台地>
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<菅江真澄の歌碑>
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<杉沢台遺跡>
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<平泉館跡>
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ほかに二三か所の遺跡をめぐり、五能線沿いに向能代にもどった。

米代川を南にして三方から道が集まったところにある向能代稲荷神社から染屋坂を上がって上野地区をあるくと、向能代は鶴形の地形に似ていたがさらに広い。

このあたりは平影野遺跡、金山館跡、真壁地T・U遺跡、などの平安期の集落遺跡がつづき、さらに米代川にそって東には中台遺跡、ユズリ葉遺跡などがある。


が、雨が降ってきた。


<向能代稲荷神社>
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<向能代の坂道>

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