アラ・ハバキの「道の奥」廻り

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zoom RSS 山北三郡2(雄勝と平鹿)

<<   作成日時 : 2017/11/11 17:57   >>

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新庄市中心部の朝が動きだす前にR13号線にでて北へむかって、金山(かねやま)町へは30分もかかったろうか?

“険しい尾根を越えて非常に美しい風変りな盆地に入った。ピラミット型の杉の林で覆われ、その麓に金山の町がある。ロマンチックな雰囲気の場所である。私は ここ2、3日ここに滞在したいと思う・・・”

1878(明治11)年に羽州街道を北上したイサベラ・バード女史の「日本奥地紀行」に記された金山町は、いまも街並み(景観)づくり100年運動もあって白壁と切り妻屋根をもつ民家が特徴的な町だ。


中心部から右折して県道73号線をいくと有屋という案内板が目にはいってきた。左手に屏風をたてたような岩肌が特異な山がある。これが龍馬山だ。風景がスキー場にかわって、道が山あいに入っていく。

雄勝・平鹿・山本の三郡を「山北」と呼んだのは、ヒラホコ(比羅保許)山の北に位置する地域からきたという。続日本紀にあるヒラホコ(比羅保許)山は県道73号でむかっている先にある神室山を比定するのが定説となっている。

二人ほどの釣り客をみかけてすすむと神室ダムに着いた。
いまは水面となっている対岸の山をこえる道が有屋峠で、古くから山北の雄勝郡へむかっていた。地図でみると神室山の東に意外なほどちかく鬼首峠がある。

<有屋地域/森の便り>
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<神室ダム>
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いま雄勝へこえる道は主寝坂道路や院内道路ができて快適になり、苦もなく横堀にある道の駅「おかち」に着いた。

天平9年(737年)の大野東人の出羽遠征記事によると、比羅保許山の北麓から平坦な道を北に50余里(現在の30〜35km)進んだところに雄勝村があることから、その比定地は羽後町元木、旧雄勝町一帯をさす中村郷(役内川流域の秋ノ宮の中村が遺称)や湯沢市相川という説がある。

そのうち湯沢市相川にまわってみた。
湯沢横手道路の須川インターのすぐ山手にあって、東鳥海山の麓の集落である。標高777.4mのこの山は「西」の鳥海山(2236m)の真東にあることから名づけられたと大きな案内板に書いてあったが、古代の史跡などはみかけなかった。

<湯沢ジオパーク>
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<東鳥海の里>
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フルーツラインという名のついた山すその道をいくと、旧道らしい趣のある道でまもなく市街地にでる。
R13に合流した道を横手市増田町に折れ、真人(まと)公園を目印にいくと成瀬川が右手にある。「史跡 十里塚」の標柱がたつ先に平鹿はあった。

ここに平鹿郡衙があったという定説だが、一説には成瀬川の氾濫によって没したとも言われている。


<成瀬川と平鹿>
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<横手市増田平鹿>
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