アラ・ハバキの「道の奥」廻り

アクセスカウンタ

zoom RSS 仙北の平泉伝承

<<   作成日時 : 2017/11/19 11:59   >>

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

復元された横手城は高台にあって遠くからでもよくみえる。

その大手道は横手病院の裏手にあって、病院用の駐車場はあっても公園利用者のためのものはなく、南側にクルマをすすめたら旧日新館まえにでた。そのさきにあった本多正純父子の墓碑をみてから道をもどり、城南高校横からのクルマ道をあがった。

レストハウスや駐車場のある空間からは遠く鳥海山が正面にみえた。
右手に大鳥公園、左下には大きく曲がる横手川をこえて中心街がちかい。正式には「天守閣様式の展望台(通称:横手城)」という、その四階からの眺めはさらにひろい。


<本多父子墓碑>
画像


<横手城展望台から>
画像



公園からいちど道を大鳥公園へむかい、朝倉小から横手駅方向へもどるようにクルマをはしらせた。平城町を通るためで、ここは古くは小野寺氏の旧跡だったという。その史跡はよくわからなかったが、市役所のちかい田中町にでて正平寺を訪ねた。

便利なことにこの中心街にひろい駐車場をもっていた。赤門からはいると、そこに白地の標柱に史跡案内がかかれていた。

−この正平寺は、古は明永山大義寺と云い寛治年中(1087〜1094)に藤原(清原)清衡の三男、小館三郎正衡が下八丁明永の地に開いた寺で廃寺になっていたが、長禄二年(1458)横手城主小野寺泰道が山号寺号を大義山正平寺と改め現在地に再興し、今に至る。−

標柱の別面には、市指定史跡−小野寺泰道公之墓所−の文字もあった。


市街地から下八丁明永へは平城町から西へJR踏切とR13をこえていく。三本柳道とか大森道と呼ばれた古くからの道らしい。いまは県道29号線となっていて、まもなく赤川で交差する県道267号線を右折すると目的地だった。

集落の案内板をみると小字名が松林と明永、さらに八幡とある。集落の中心部には館跡があり、北に八丁神社があるが大義寺跡がよくわからない。

県道にでて赤川方面にもどろうと走らせたら白い標柱と小さな社があって寄ってみたら、ここが大義寺跡だった。

−前九年の合戦、後三年の合戦を経て、平泉の藤原清衡は奥羽の一村ごとに寺院を建立させた。その事業を継承して三男の正衡は、この地八丁の明永に平泉の末寺「明永山 大義寺」を建立した。ここら辺は僧坊が三十六もあったと言われ、明永一帯は仏閣僧坊によって栄えた。大義寺のあった明永の一部が、明治二十二年の町村制実施で旭村赤川に分割された。小野寺泰道は大義寺の住職に深く信心し、その後退廃した大義寺を城南の地、今の田中町に移し、大きな寺を造営、大義山正平寺と山号、寺号を改め、開基を藤原正衡とした。−


<正平寺と赤門>
画像


<下八丁の大義寺跡>
画像


テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
ナイス

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
仙北の平泉伝承 アラ・ハバキの「道の奥」廻り/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる