アラ・ハバキの「道の奥」廻り

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zoom RSS 会津へ、峠を越えて

<<   作成日時 : 2017/12/22 19:55   >>

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須賀川市街地から旧長沼村内をとおると、会津若松へ向かう道が二本ある。

北へむかうと勢至堂峠をこえて猪苗代湖の西を若松城下へ出るのだが、往路は西へむかい、天栄村の羽鳥湖の北をこえて湯本から湯野上温泉へでる道をえらんだ。

天栄村は広い。
村のほぼ中央部にある分水嶺「鳳坂(ほうさか)峠」まではなだらかな農村の風景を楽しめたが、徐々に高度が上がりさらに曲りがきつくなってきた。羽鳥トンネルをぬけるとホッとする。岩瀬湯本温泉をすぎてふたたび峠となり下郷町の蝉トンネルのさきはだいぶゆるやかな道となった。

湯野上温泉地内のR118号線への合流地点でまちがえてひきかえし、芦ノ牧温泉をとおって本郷方面へ分岐する県道23号線の手前でしばらく休憩をとったが、ここまでくるとようやく平野部にでた思いがする。

<会津歩きの図>
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「平泉の道45平泉藤原氏と荘園/岩手日報」によれば、会津地方には摂関家領荘園が蜷河荘と長江荘の二ヵ所があり、後三年合戦のあとには平泉藤原氏が奥羽地方の摂関家領荘園の管理者・総代理人となったという。


蜷河(にながわ)荘は中部の河沼郡会津坂下(あいづばんげ)町・柳津(やないづ)町・耶麻郡西会津町および高郷村の南半(阿賀川以南)の地一帯に比定され、長江荘は南部の阿賀川(大川)上流域,会津若松市大戸町,および南会津郡田島町・下郷町一帯に比定されている。


縦長の会津盆地の南部にある会津美里町のうち旧会津高田町富川地内をめざしていく。
南に会津高原の山々がまだちかい。富川の富岡はちいさな集落だが、北から西にかけてあたらしい道がとおっていた。そこから集落にはいるとすぐに「福生寺(ふくしょうじ)」があった。

ここにある通称「富岡観音堂」は中世に建てられたもので、本尊の十一面観音は会津三十三観音の中で最も大きい坐像であり、運慶の作と言われている。

集落のなかをぬけ領家から藤家舘藤田へでると、富岡よりはやや大きな集落だった。

中ほどに「藤田部落案内図」が立ち、かたわらの石柱に「福島県文化財・大光寺供養塔入口」の看板も立っていた。道をはいっていくと正面に小屋掛けがみえ、中と外にいくつもの石造の供養塔がならんでいる。「大光寺供養塔」は小屋の中央にあり、外に説明板があったが、さすがに「藤原秀衡娘建立」の伝承にはふれていなかった。


<福生寺(富岡)観音堂>
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<大光寺石造供養塔>
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宮川をこえてR401へでて北上する。
町役場のある高田の中心街はさすがににぎやかで、ひさしぶりに町場をみたのだがただ走りぬけねばならない。峠をこえて会津盆地にはいってから雨になるような雲の流れで、会津坂下町域に入るころにはとうとう雨粒が落ちてきてしまった。


〈会津坂下町歩きマップ〉
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会津地方の中心は大江郷にあったらしい。

JR只見線の東側をはしって町役場のある中心部から、こんどは線路の西側を南下した。踏切をわたると会津農林高校があり、まもなく“大江”の表示がみえた。新道ばたにある集落センターから地図の神社と寺のマークを目印に西側にでる。
そこに「大江古屋敷遺跡」の案内板は見かけなかったが、寺社の西側にあたる場所に見当をつけた。

蜷河荘が立荘後の平安末期は会津坂下町北部の宮ノ北遺跡や陣が峯城跡のほうに中心が移ったといわれている。これは越後方面との交流がさかんになり、古代・中世には越後街道が勝負沢を通っていたから、より近い場所に拠点をもうけたとみられている。

R49号線を横切るようにして県道を北上するとまもなく「宇内薬師」の表示があり、やや上り坂にある信号交差点のさきに陣ヶ峯城跡があった。

とくに駐車場はなく川西公民館の石柱がたつところの空き地にクルマをおいて中にはいった。正面にみえる建物がそうらしい、ちかづくと無人のようで使用していないらしい。
ロープが張ってあって、そこからさきの畑地には入られないようにしてある。旧公民館前にポストが置かれていてなかに説明資料が積んであった。

宮ノ北遺跡は宇内薬師のほうにもどり、途中から東へむかって旧宮川をわたったところにある白旗八幡神社を目印とした。周囲は水田の風景だが御所という集落名が古代から中世をしのばせる。


〈大江古屋敷遺跡あたり〉
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〈陣が峯城跡入口〉
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〈白旗八幡神社の森〉
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〈越後街道変遷図/ごらんしょ〉
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R49号線を東へはしり、会津坂下町東端にある阿賀川を越えたところにある道の駅「あいづ湯川・会津坂下」で休憩とする。長ったらしいその名称は境にあるからのようで、まだ新しい。

現在会津郡のもっとも有力な郡衙の候補地とされる、旧河東町郡山地区はここから県道33号線を東へいく。
JR磐越西線の踏切をわたり、市役所支所と広田西公園まで行ってから線路に目印にもどるようにして水田のなかをいくと、「村社 磐椅神社」あり小さな集落が線路の手前にあった。
ここが郡山集落で真ん中には「會」とかかれた墨書土器を説明する遺跡案内板が建てられていた。


県道33号線を東へ行き、R49号線に合流してしばらく走り、磐越道磐梯河東ICへまがり磐梯町域にはいった。
左折して県道7号線を西へいくと磐梯第二小学校がある。陣の山城跡は小学校の裏手の山にあるとの下調べは間違っていたようで、周辺をなんどまわってもあるはずの史跡標示が見つからない。

ただ、ここからの会津盆地は見晴らしがいい。巨大な観音像もよくみえる。

遺跡地図と一般地図をなんどかみなおして、小学校から西へ探索をかえて何度目かの山手でようやく探し当てた。県道沿いに案内ぐらいあってもいいのに、と愚痴りながら説明板をよむとそこには戦国期の陣の山館跡について書かれてあるだけで、平安末期の「城長茂」や慧日寺の「乗丹坊」の名はなかった。


〈郡山遺跡図〉
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〈磐梯第二小学校の山手から>
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〈陣の山館跡〉
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