アラ・ハバキの「道の奥」廻り

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zoom RSS 舞草神社からの風景

<<   作成日時 : 2018/01/23 14:31   >>

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平泉藤原氏の滅亡とともに消えたものの一つに舞草(儛草)―まいくさ、また、もくさー鍛冶がある。

中尊寺大長寿院に悪路王(あくろおう)の佩刀(はいとう)と伝承のある蕨手刀(わらびてとう)があって、いまは同寺讃衡蔵(さんこうぞう)で収蔵されている。その日本刀の源流の一つとされる蕨手刀を改良発展させた舞草鍛冶のうつ舞草刀は平安中後期には高い評価を得ていた。

高橋富雄氏によれば「舞草」のいわれは

―「燃え草」の意味の「もくさ」、すなわち燃える草の意味の(もくさ)の略で、燃え草は刀を作るときにおいて、炎々として燃え上がるその火の粉、炎の中でもって、神剣が鍛えられていく。その模様について「燃え草」「もくさ」という言い方が出た。―

という。
また、「周辺景観からみた中世平泉の市街地形成」のなかで磯野綾氏は

―平泉は当時の信仰の対象でもあった周辺山稜景観が一望出来る土地に、周辺山頂との位置を考慮して建物や道路が建設された。特に東岳峠と観音山は、東側山頂の中でも平泉の周辺景観形成への寄与が高かったと考えられるー

とする。

その観音山の中腹に舞草鍛冶の伝承地と神社があって、近くにある白山岳は別名〈鉄落山〉と言われ、過去に一関市が行った発掘調査では鍛冶場の跡などは発見されたが、刀鍛冶だという確かな痕跡は見つからなかったようだ。


北上川の東岸を南北にはしる県道14号線が平泉町と一関市の境をこえてまもなく左折する。道は曲がりながら上っていく。
左に白い標柱がたち「儛草神社表参道黒門」と別面に「之より東方、東参道入口1300m車道」とあった。この古くからの参道は「文化」年間と彫られた石造物を傍らにえぐられた歩道となって上にむかっている。
「舞草観音堂入口」と別面に「金剛力士仁王像」ある白い標柱からせまい車道にはいる。東参道よりはすこし手前からはいったようだ。

まもなく民家が一軒みえた。
舞草観音堂は民家の敷地内のようにみえる場所となっている。

観音堂のまえに「舞草山と仁王像」と題した一関市教委と舞草地区文化財保存会が建てた説明板があり、文章と絵図が載っていた。
そこには、舞草神社の前身の吉祥山東城寺のいわれと馬頭観音信仰が盛んであったとも記されていた。

観音山のいわれは東城寺の本尊である聖観音像からのようだが。


<表参道入口>
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<観音堂入口>
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<説明板の案内図>
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観音堂のわきから林道が上にむかっていた。
林の中をすこし上がると舞草神社がみえてきた。門前は広場のようになっていて、さらに林が伐採され表参道方向の見晴らしが意外なほどよい。


<舞草神社@>
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<舞草神社A>
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<舞草鍛冶遺跡案内板>
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<舞草神社からの風景>
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