アラ・ハバキの「道の奥」廻り

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zoom RSS 安倍氏の逃避行

<<   作成日時 : 2018/02/25 13:18   >>

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『今昔物語集』のなかに「陸奥国の安倍頼時、胡国に行きて空しく返る語(こと)」と題した話があり、頼時が一族の主だった者や郎党・下人あわせて50人ほどで、はるか北に逃避行をはかったが果たせずに帰ってきた顛末をしるしている。

そして、この話をつたえたのは、九州に流罪となっていた頼時の子宗任であるとつけくわえている。


この逃避行の発端は、奥六郡の奥にいる『夷』に不穏の動きがあるので、陸奥守源頼義が攻めようとしたが、安倍頼時に『夷』との「同心」の疑いがかかったため北へ逃げることにした、とある。
このことは、「ここ奥州のなかで東夷が蜂起し、郡県を領地としエミシの地とした」と頼義の奏状のなかにある「東夷」が安倍頼時ではなく奥地の「夷」をさしている可能性も考えられる。


「陸奥話記」には「六郡を横行し」ているとされる安倍氏は、北は奥地の「夷」、南は陸奥国府、西は奥羽山脈、東は北上山地にかこまれ、膨張しすぎてむしろ窮屈な状況に陥っていたのだろうか?


安倍頼時は「奥地の夷」である鉋屋・仁土呂志・宇曽利三部の兵と戦い敗死している。


また、この話は『宇治拾遺物語』にも「頼時が胡人見たる事」という題でおさめられていて、ほぼおなじ内容を伝えている。


<宇治拾遺物語「安倍頼時蝦夷渡り図」/旅と歴史と文化>
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