アラ・ハバキの「道の奥」廻り

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zoom RSS 菅原道真の「哭す奥州藤使君」にみる奥州の民

<<   作成日時 : 2018/02/28 12:20   >>

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「哭奥州藤使君」つまり、陸奥守藤原滋実(しげざね)の死を泣いて哀しむ、と題した菅原道真の詩に当時の陸奥国の姿が描かれている。延喜元年(901年)のこの年、道真は左遷された大宰府におり、翌々年の延喜3年(903年)この地で薨去し安楽寺に葬られている。享年59。


「哭奥州藤使君」には、金や馬など奥州の民側の交易品は(「蝦夷」(高橋崇)から引用)

多くは是れ 辺鄙(へんぴ)に出づ
辺鄙 最も_俗(こうぞくー荒々しい習俗)にして 
為性(いせいーひととなり) 皆狼子(ろうし) なり
価値 甚しく蚩眩(しげんーあざむきまどわす)す 
弊(やぶ)れたる衣  朱と紫とあり
分寸(ふんすん)も平商(へいしょう)に背そむかば
野心 勃然として起つ
古より夷の民の変
交関に不軌を成すなり(交易上のいさかいの事)
邂逅(たまさか)に事無きに当りては
贏(かがー利益)を兼(ま)すこと 意の指すが如し


奥州の民の交易について、平泉への道(11.元慶の乱/工藤雅樹)では、この「哭奥州藤使君」は
―滋実の下僚には財貨にいやしい者が多く、彼らは蝦夷との交易によって金、皮衣、鷹、馬などを入手し、それらを都に持ち帰って贈物とし、さらに有利な官を得ようとしていること、蝦夷との交易はうまく行けば利益が莫大であるが、交易におけるトラブルがもとで変乱となることがあること、―

と述べている。また、つづいて

交易品目には、アシカ(海獣)の皮、独犴(どくかんー山犬のような動物)の皮、砂金、昆布などもあった。秋田城や胆沢城の重要な任務には、交易によってこれらの北方の産物を入手することがあり、後に安倍氏や清原氏が力を得ることができた理由の一つに、交易を掌握し、その利益を独占したことがあげられるだろう。―

と指摘している。


道真の詩では、質の良い金や皮衣は人里離れた辺鄙な地で採れるが、この辺りの住民は、真に馴れ難く、ともすれば謀反を起こし易い者共である、と奥州の民を「狼子・野心」の語で表現している。
この語は、友人を悼み、官吏にたいする怒りのに触発されたようだが、当時の朝廷のまつろわぬ奥州の民への心情を語ってもいる。



「価値 甚だしく蚩(あざむ)き眩(まど)わす 弊(やぶ)れたる衣 朱と紫と 分寸も平商に背けば 野心勃然として起る」という句について、ブログ≪何からはなそうか≫では

「価値 甚だしく蚩き眩わす」の「蚩眩(しげん)」という言葉は、後漢の学者張衡(ちょうこう・張平子。78〜139)の「西京賦(さいけいのふ)」という文章から道真が借りたものであるが、「西京賦」には「良を鬻(ひさ)ぎ、苦を雑(まじ)え、辺鄙を蚩眩す」(先に良い物を見せて値を定めてから、悪い物を混ぜて辺鄙の住民をあざむきまどわす)とある。これは、長安(西京)の市場で、商人たちが辺鄙の住民をだます様子を描いているのである。したがって、「価値 甚だしく蚩き眩わす」という悪事を行うのは、辺鄙のエミシではなく、陸奥の役人と結託した商人たちと解すべきである。
道真は、エミシを「狼子」と軽蔑していたけれども、エミシが反乱を起こすのは、陸奥の役人や商人たちが交易で凶暴なエミシをだますためだと考えていたわけである。

と解釈している。


藤原滋実の父の興世(おきよ)は、元慶2(878)年3月に秋田県北部の蝦夷(えみし)が秋田城駐在国司の苛政(かせい)を訴え、秋田城などを焼き打ちした元慶の乱の時の出羽守で、滋実も乱の時には父にしたがって出羽国におり、事件の収拾に一役買っている。こののち、滋実は陸奥守となる。




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