アラ・ハバキの「道の奥」廻り

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zoom RSS 亘理郡山元町から角田市へ

<<   作成日時 : 2018/03/22 11:50   >>

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<亘理郡山元町から角田市マップ>
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亘理郡山元町にある中島館跡には、
「中島舘跡 亘理権太夫藤原経清の居館跡と伝えられている」
という標柱が建てられているらしい。そうであれば亘理経清の居館は奥州市江刺区の豊田館跡訪問以来となる。


中島館跡の周辺は縄文・古代・中世とつづく遺跡がおおく発掘されていて、南隣には合戦原遺跡があるなど永く地方の中心をなした場所のようだ。

また、西側の阿武隈山地の山沿いには古代の「東海道(あずまかいどう)」と呼ばれる古道があり、江戸期の浜海道は、すぐ東側を南北に延びていた。この街道が合戦原遺跡と接するところに「金子坂(かなござか)」と呼ばれる鉄滓やフイゴの羽口が多数見つかる場所があり、時代は不明であるが周辺で製鉄が行われていたことを物語っている。

宮城病院を目当てにR6を南下して、合戦原遺跡の説明板をよんだあと道をもどる。
国道端に建てられた中島館跡の標柱は代がわりしているようで、その記述には「亘理恒清」の名はなくなっていた。


<山元町史跡案内図/資料館>
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<中島館跡標柱>
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 亘理恒清とは相婿となる平永衡は伊具十郎とよばれ、その郡内に勢力をひろげていたようだ。居城は「八竜城」と伝承されている。

 中島館跡からは常磐道山元ICへの交差点までもどり、西へ走って峠道のトンネルをぬけて左折させた。八竜城跡の案内にしたがって、集落のなかを左右におれて内町貯水池へたどりつくと、内町湖という案内板に八竜城をふくむ図が載っていた。ここから城址までは池を半周することになる、さいごの民家をすぎると道はまだ季節が早いようだった。


<金津鳥獣保護区域図>
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<内町湖案内図>
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<八竜城址>
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阿武隈川と角田市街地をすぎて白石市へむかうR113号線の途中に高蔵寺阿弥陀堂の案内表示がでてきた。

平野部から山にはいるころに、R113とわかれて集落をぬけるとすぐに高倉公園があった。向かい合うようにして高蔵寺がある。

 山あいの寺という先入観からはほど遠い空間となっていて、空がひろい。いわき市の白水阿弥陀堂とならぶ古い堂の茅葺が厚く、きれいに揃えられていた。


<高蔵寺周辺マップ>
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<高蔵寺阿弥陀堂>
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