アラ・ハバキの「道の奥」廻り

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zoom RSS 越後へ、奥山荘ふたたび

<<   作成日時 : 2018/04/29 12:30   >>

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 R8からところどころにチューリップの花がみえるので、富山県にはいり小矢部から砺波へ回り道をした。
 田園風景のなかを市街地にあるチューリップ公園へむかうと、「休園中」とフェアは「4月20日〜5月5日」との案内板が立っていた。

 名高い“親不知子不知”の「親不知記念広場」にクルマをとめて、日本海に落ち込む断崖をのぞいてみたが、あの波打ち際をほんとうに歩いたのだろうか?あの下に、数十年前までは砂浜があったということを疑ってしまうほどの険しさだった。
 その先にある道の駅「ピアパーク」でひと休み。

 上越市の郷津でR8と分れて五智地区の蓮池公園へ行き、越後一の宮「居多(こた)神社」から国分寺方面へ歩いた。ここに広い駐車場と「五智歴史の里会館」という瀟洒な外観をもつ休憩所・案内所・土産店をかねた建物がある。

 古代の越後国府跡はいまだ確定にいたっていないが、この辺りは比定地のひとつで、地名も国府となっている。  「五智歴史の里会館」の脇をあがる道があり「国分寺へ100m」とあった。てっぺんは十字路になっていて大きな鳥居がたち、国分寺へは左へ行く。

 仁王門をくぐり境内にある茶店は閉じていたが、サクラは満開で五重塔のまわりには、ほかにも花の咲いている木が適度な間隔で立っていた。

<親不知海岸マップ>
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<親不知海岸の断崖>
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<五智国分寺参道>
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<五智国分寺茶店と五重塔を描いた絵>
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 新潟県新発田市に菅谷(すがだに)不動尊という古くから参詣客でにぎわった霊場がある。幕末に、母を連れて西国の旅をした山形庄内の清河八郎が、その旅中を記した「西遊草」で

−堂の裏に不動滝がある。参詣の人は田螺(たにし)を放して眼病の平癒を祈るのである。−

と、紹介している。

 高校生の登校でにぎわう新発田市街をぬけ、道の駅「加治川」で休憩したあと箱岩峠に挑んでみたが通行止めとなっていたので戻るようにして、R290で菅谷へ出た。

 茶店がならんだ昔のようではないが、けっこう商店などが門前通りを賑やかにしていた。
 仰ぎ見るという意味の「瞻仰(さんごう)橋」から山門をアゴをあげて見、参道をいくと案内図が掲示してある。山門のまえには落雪よけの三角屋根がもうけてある。冬場の豪雪が思いやられるが、他人事でもないか。
 みたらせの滝へいくと、

―建長五年(1253)の春、雷火のため悉く消失したが、その時ご本尊のみは「みたらせの滝の中に数多のたにしに守られ、尊像は毫髪(ごうはつー細い毛)も損じ給はず」とご縁起にあり、誠に不思議な霊験と今に伝えられている。以来、滝つぼに「たにし」を奉納し、滝不動に水をかけ多くの人々に親しまれている。又、この水は古くから眼病に霊験ありとしても知られている。−

と書かれた説明板があった。

 R290は鳥坂城跡などの「奥山荘城館遺跡群」がある櫛形山脈の東側を南北に走る道で、R7からは裏手になっている。前回見のがした遺跡群を訪れるために、胎内川にそって左折し白鳥(しろとり)公園へまわった。

 R7からはいると上り道のさきにすぐに公園があり、櫛形山脈を縦走する登山客とおもわれるクルマがあり、また家族づれも散歩客もいた。
 おりて、羽黒集落内の細道をぬけて山手にはいると、意外と広い空の下に田畑があり、さらに進むと「奥山荘城館遺跡群」の案内板が二ヵ所にあった。羽黒観音の案内板のさきは林道となっていた。

<菅谷不動尊>
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<菅谷・みたらしの滝>
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<白鳥公園>
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<奥山荘城館遺跡群案内板>
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<鳥坂山周辺登山案内図>
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