アラ・ハバキの「道の奥」廻り

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<<   作成日時 : 2018/04/21 11:29   >>

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 出雲大社のとなりにある古代出雲歴史博物館からは直接境内にいけるのだが、いったん外にでて参道入口の勢溜(せいだまり)の大鳥居までのゆるやかな上り道を行った。
 ここから神門通りがまっすぐな下り坂になっていて遠くまでみえる。大鳥居をくぐっていく参道もまた下っている。つまりここ勢溜は小さな高台になっている。

 手水舎の右には「ムスビの御神像」、また左には対をなすように「御慈愛の御神像」があるが、境内にはそれらをふくめて大小のウサギの像が目につく。太い注連縄の拝殿、宇豆柱発掘位置の大きな印がついた本殿前、さらにそのまわりを巡っているうちに小降りの雨粒がおちてきた。


<出雲大社境内図@>
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<出雲大社境内図A>
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<下り坂の参道>
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<出雲大社本殿宇豆柱位置印>
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 宍道湖の北をはしるR431で松江市街にでる。

 松江城大手前駐車場にクルマをおいて、「お城まつり」の看板下をくぐり本丸への道を上った。小ぶりで歩きやすい城内で、撮影している3組の花嫁花婿を別々な場所でみかけた。さらに鎮守の森・椿谷散策コースを歩き、亀田橋・千鳥橋をわたったりしてほぼ一周したようだった。

 雨は上がっていた。


<松江城下絵図>
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<松江城本丸>
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 八雲立つ風土記の丘は市街地からR432を一路南下したところにあり、出雲国府跡はその東がわにあった。

 R432から県道へ左折する道がわからず、通りすぎてから引きかえし真名井社前にでると「出雲国風土記登場地」の標柱がたっていた。南側には広々とした空間とまっすぐな道があり、ここが国府跡かと見まちがえるほどだ。
 
 ここから案内図にしたがって大草集落をぬけると「出雲国庁跡」の標柱や図などが駐車場とともにあった。

 弘仁5(814)年、遠胆沢公(とおついさわのきみ)母志(もし)が、荒橿(あらかし)の乱を討った功績により外従五位下(げのじゅごいげ)を授けられた場所はここなのだろうか?
 またここは、前九年合戦の緒戦となった鬼功部の戦いで陸奥国府軍をひきいた陸奥守藤原登任が、それ以前に出雲守として勤務していた地でもある。

 南の方へと足をのばすと、発掘調査がおこなわれていた。手前にある六所神社にたちよると、賽銭箱に「有」の文字があり、二重亀甲の紋がつけられている。これは十月を出雲地方では神有月と言うことにちなんだもので、「十」と「月」をかけあわせ「有」字を作っているのだという。


<出雲国府跡周辺図>
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<出雲国府跡>
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<六所神社>
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 さらにR432を南にむかうと山が深くなってきた。ついには山を登るようになり、道が輪をかくようにひと回りするという珍しい形状となっている。駒返トンネルには山中鹿之介のおおきなレリーフがあり、広瀬町が近くなったことを知らせてくれた。
 左折右折をかさねて、ちいさな城下町をぬけると広い川にでた。月山富田城跡は川向こうにあり、いまも整備中のようだった。

 千畳敷から太鼓檀へはすぐだが、そこからみえる本丸ははるかに遠い。


<史跡富田城跡整備事業図>
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<整備中の富田城跡>
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<広瀬と駒返峠>
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