アラ・ハバキの「道の奥」廻り

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zoom RSS 萩城下と岩国錦帯橋

<<   作成日時 : 2018/04/23 15:35   >>

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 R9山陰道は日本海に沿い、ときに離れて山間をすすんだ。

 大田・江津・浜田・益田と大きな町は市街地をさけるバイパスが整備されていたし、無料供用の自動車専用道路もあり、ほとんど渋滞するようなこともなかった。益田市内でのりかえて萩市にむかう道R191は「北浦街道」と表示され、その名のとおり、たいがい海をみながらはしる区間が長かった。

 山口県境をこえたあたりだったか、海上にちいさな島がいくつか見えてきた。クルマをわきの空き地によせて曇り空の下にかすむ島を写真におさめたが、見島ではなかったようだ。萩市から北北西に45km、天候の良い晴れた日に沖合いにうっすらと浮かぶように見える、という見島がこんな日に見えるはずもなかった。

 ここにある「国史跡 見島ジーコンボ古墳群」は7c後半から10c初めにかけての遺跡で、下記の論文に引用されているような、東北地方との関連を想定する説もある。

−積石塚と副葬品の組み合わせが岩手県に多数存在する蝦夷塚と共通する事と、副葬品の帯具の特徴から、発掘調査された56号墳の被葬者は長門国に移配されてきた俘囚集団の長であったと考えられる。副葬品はこの首長が七、八位の位を持つ有位者であることを示しており、見島の俘囚集団は国司の庇護の元に自治的に統率されていたと考えられる。(見島ジーコンボ古墳群「俘囚墓」説小考/横山成己)−


 越ヶ浜は城下町萩とはべつに、明るい海の表情をもつ萩を現しているようで、マリーナや美萩海浜公園につづいて道の駅「萩しーまーと」があった。

 萩市内を二度にわけて散策した。
 曇りがちだった空からついに雨がおちてきたので、始めは菊ヶ浜駐車場にクルマをおいて萩城跡から博物館周辺まで傘をさして歩き、クルマ移動で松蔭神社へまわったあといったん宿にはいった。一休みしているうちに雲がうすくなってきたので、念のため傘を手にして、松本川をわたり明倫学舎や中央公園などをまわった。

 萩市の市章は土塀を、また市の花は萩と椿だという。その白壁と赤い花は十分に目にすることができた。

<日本海にうかぶ島>
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<萩城下@>
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<萩城下A>
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 現代の「萩往還」のようなR262をはしり、山口市街をへて防府(ほうふー周防国府)につくと、ここからはR2となる。近年の町村合併のせいでずいぶんと東西に長くなった周南市の地名表示が見えなくなるころ、瀬戸内海からとおく離れた山あいを走っていた。

 岩国市街にはちかい「欽明路道路」への分岐をすぎたR2はほとんど山あいの農村の風景をみながら進む。錦川にかかる錦橋をわたると道は川ぞいを行き、対岸にはローカル鉄道「錦川清流線」がみえた。

 錦帯橋はR2からはちかく、すぐに広々とした河原の駐車場にとめると、愛想のいい係員が「あいにくの風で」とどんよりとした空をわびるように言った。気温も低く、やや防寒色のつよい上着に着替えて錦帯橋をゆっくりとわたる。 
 対岸は高々とした岩国城の下に公園と武家町の名残りが混在していて、萩城下に似た景色の方をおもに歩いていたら、佐々木小次郎の像のまえにでた。

 
<錦帯橋@>
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<錦帯橋A>
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<佐々木小次郎の像>
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