アラ・ハバキの「道の奥」廻り

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zoom RSS 『緑釉陶器』の来た道 − 三沢市平畑(1)遺跡

<<   作成日時 : 2018/05/13 09:45   >>

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 野辺地から三沢市へ向かう県道野辺地-八戸線を東北町李沢(すももざわ)で大きな坂を下りはじめると前方に小川原湖が横たわってみえる。

 砂土路川(さどろがわ)を越えると青い森鉄道上北駅の東側にある十字路交差点をすぎるが、その交差点の上に二体の「平安時代の女性の旅姿」像がのせられている。
 この「玉代姫勝世姫像」は小川原湖に平安時代の伝説をもたらした姉妹を現したもので、その名は妹沼(小川原湖)と姉沼としてのこり、ほかにも姉戸大明神・広沼大明神・沼崎観音などが湖畔の広い地域に伝承されている。

 三沢市街にはいる手前に県道から湖岸の南を三沢市民の森方面にいく道が分かれる。平畑(1)〜(5)遺跡は、この分岐点の東の台地に広がっている。

<交差点の玉代姫勝世姫像>
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<平畑遺跡図/青森埋文研究紀要15号から>
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『平畑(1)遺跡/2005年度青森県埋蔵文化財発掘調査報告会速報』によると、
平安時代(10世紀前半期)の集落跡からは11軒(2軒未調査)の住居跡の遺構が確認され、遺物のなかでとくに注目されるのは「緑釉陶器」だという。小破片も含め22点出土した緑釉陶器は、1辺約9mの住居跡から大半が出土している。


<平畑(1)遺跡出土の緑釉陶器>
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 緑釉陶器は表面がエメラルドグリーンで、皿や椀(わん)などの一部二十二点が出土した。最も大きい皿は、元の大きさが直径約一二・六センチ、高さ約二・五センチ、厚さ約〇・二センチと推定される。 

上記の発掘調査報告会速報は

「蝦夷が支配する地域であった当時の北東北において特殊な遺物ともいえる緑釉陶器の出土は、中央との政治的、経済的な関わりを考える上で重要な資料だと思います。」(長尾正義)

と結んでいる。

また、三沢市のホームページでは

 平畑(1)遺跡の平安時代の住居跡から現在の京都府亀岡市にある9世紀後半創業の篠窯で作られた高級食器「緑釉陶器」の皿や椀などが出土しています。住居跡の土層観察から10世紀初めころに捨てられたのが分かっていますので、使っていたのはそれより前ということになります。遺跡周辺にかなりの有力者がいたことをうかがわせます。あるいは、平安京から来た貴族が住んでいたかもしれません。このことを裏付けると考えられるものとして遺跡の近くからは円墳と同じ円形周構墓も見つかっています。玉代姫・勝世姫が登場する小川原湖伝説(西暦672頃が舞台となっている物語)とからめ、ロマンをかき立てられます。

と紹介している。


<平畑(1)遺跡>
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<平畑(3)遺跡>
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<東から台地上の平畑>
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 この平畑(1)遺跡からの出土は、県内では、野辺地町の二十平(1)遺跡で十世紀後半の遺構から破片が出土したのに続き二例目となっている。



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