アラ・ハバキの「道の奥」廻り

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zoom RSS 緑釉陶器が来た道、払田柵から日本海へ

<<   作成日時 : 2018/05/19 13:04   >>

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野辺地二十平(1)遺跡/10c/近江産、
三沢市平畑(1)遺跡/10c前〜10c後半/京郊外篠窯産、
八戸市熊野堂遺跡/10c後半〜11c/近江産

いずれも10世紀代を中心とするこの三か所の遺跡から出土した緑釉陶器(りょくゆう)は、どこからどんな理由で到来したものか。とくに、住居跡から4 器種8個体分という出土の多さから“平畑ムラ”の長とみられる人物は、平安京周辺の有力者となんらかの接点をもっていたのだろう。陸奥国府や胆沢鎮守府周辺から出土する緑釉陶器は東海産(愛知・岐阜県)が多いそうだから、経由地としては可能性が低いのではないか。


秋田埋文パンフ「古代城柵と蝦夷」コラムに

陸奥国北側の馬産地から奥羽山脈を越え、陸路京を目指したそのルートに払田柵はあった。それは山越えした馬の最初の休息場所であった。馬の背には獣皮や昆布が積まれていたに違いない。
 蝦夷に門戸を開いた交易センターであり、蝦夷へのもてなしの場であった。

とあり、さらに秋田埋文「ミニ・コラム53―2012年度掲載分)によると、

にかほ市にある「家ノ浦U遺跡」は9世紀後葉から10世紀前葉を中心とする平安時代の祭祀域および鍛冶関連の工房域とされている遺跡で、2011年の調査では、34点、少なくても12個体分もの緑釉(りょくゆう)陶器が北側にある沢地で多く見つかり、そこは役目を終えた器を廃棄した場所であったと考えられる。
また、もう一つの高級な陶器である灰釉(かいゆう)陶器が22点、少なくとも8個体分見つかっており、さらに立沢遺跡、家ノ浦遺跡、前田表U遺跡といった近くの遺跡からも、これらの陶器が見つかっている。
しかし、これだけの陶器が集中していながら、家ノ浦U遺跡を含む周辺の遺跡で行われた調査では、郡家(郡衙)や寺院などの遺跡は見つかっていません。

とあった。

そして、

家ノ浦U遺跡の調査終了直後、南に1.3kmの清水尻U遺跡の調査で、古代の「官道」が発見されました。海岸と平行に南北に走る道で、秋田と山形を結ぶ重要な道だったと考えられます。注目されるのは、この道の延長線が、家ノ浦U遺跡の西に隣接する現国道7号の路線にあたるということです。家ノ浦U遺跡から出土した陶器は、この官道と関係があるのでしょうか。

とその運搬経路にも推察がいっている。


<10cころの奥羽の城柵図>
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<払田柵>
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<家ノ浦遺跡周辺>
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<家ノ浦(U)遺跡の現場写真/秋田埋文ミニcolumn53_1>
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<家ノ浦(U)遺跡出土の陶器/秋田埋文ミニcolumn53_2>
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「糠部の馬」や北方交易品と払田柵をへて日本海側の京への道がある、という推測に無理はないとおもえる。

ただ残念ながら、出土した緑釉陶器は「東海地方産の優品が含まれています」とのことだから、野辺地〜三沢〜八戸ラインにはつながらないか?



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