北上川中流域の古墳群

 811年に廃止された志波城にかわって、翌812年から造営された徳丹城から北へ1km足らずの微高地に、藤沢狄森古墳群がある。  『地名拾遺―律令国家支配の北辺/日本歴史地名大系ジャーナル第45回』によれば、この古墳群は江戸期の書物に紹介されるほど古くから知られていた。  「雑書」寛文12年(1672)には蝦夷(えぞ)塚と見え、江…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

雫石川以南、古代「志波」地方の古墳群2

 太田蝦夷森古墳群からは南東に2km離れた飯岡山の東麓に、主体部が同じ礫槨(れきかく)墳の形式の「高館古墳群」がある。丘陵先端部に立地し残っているのは一基だけだが、1933年の調査の際には、蕨手刀や水晶の切子玉・鉄製馬具などが出土し、当時は6基あったという。  太田や上飯岡地区周辺の同時代集落遺跡としては、竹鼻遺跡、八卦遺跡や志波城跡…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

雫石川以南、古代「志波」地方の古墳群

 奈良・平安時代を中心とする古代においては、現在の雫石川が川幅・水量とも多く、北上川本流のごとく流れていたと考えられ、その南岸に広がる低位段丘上に多くの集落が営まれていた。また、現在の雫石南岸には縄文時代以来の流路転換による4条の大きな旧河道がある(標高値から北進がわかる)(盛岡市遺跡の学び館の諸資料から)  803年に志波城が造…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

盛岡市上田蝦夷森古墳群

 国道4号沿いの岩手町と盛岡市玉山区との境にある「草桁一里塚跡」から、旧盛岡城下をめざして南下すると、 一里塚(跡)は新塚・渋民・笹平・小野松・上田と北上川を渡ることなく東岸に位置していた。渋民をすぎる平 坦な道は東方の丘陵地から湧水で開析された沢を上り下りする坂道がつづく。とくに、大森山や黒石山から派生 する尾根の裾部には、「座…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

北上川上流域の古墳群2

浮島古墳群から県道をさらに東へ進んだ下り坂の途中に、「仙波堤竪穴住居跡」の標柱が立っているのが見える。わずかばかりの空き地をみつけてクルマをいれ、読んだ説明板には ―この丘陵一帯にくぼ地となって所在するのは、古代の竪穴住居跡であり、現在40数ヶ所を数えることができる。(略)竪穴は、地表面から1m程度の深さに床面があり、平面形は…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

北上川上流域の古墳群

 国道4号最高地点485mの表示板は、いわて銀河鉄道を高架する一戸町十三本木峠(奥中山峠とも)に掲げられている。国道4号を南下してくると、ここで初めて岩手山を見ることができる。  民家と公共の施設が入り交じってにぎやかになった道は下り、奥中山駅前の十字路からふたたび緩やかながら上りはじめるが、すぐに下り坂となっている。  ここが…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

由利本荘市宮崎遺跡と西目潟

 由利本荘市内での古墳時代の遺跡は、宮崎遺跡とそのすぐ南にある沼田遺跡やさらに南方の丘陵につづく井岡遺跡が確認されている。  横手市史通史編では、横手地方に古墳文化の影響を与えた日本海側の遺跡として由利本荘市の宮崎遺跡をとりあげ、 ―宮崎遺跡では、南部古墳文化の所産である竪穴住居跡から、須恵器と南小泉式段階から住社式段階の土…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

雄物川中流域の遺跡から、その2

 深井集落の東につづく造山(つくりやま)集落には蝦夷塚古墳群がある。  五城目町岩野山古墳群や秋田市内の久保台古墳・湯ノ沢F遺跡・小阿地古墳とはやや立地条件が違って、舌状台地の先端ではなく平坦部に古墳群があったようだ。 『秋田県遺跡詳細分布調査報告書1984年』には、遺跡の立地と現況について ―雄物川の右岸、自然堤防上…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

雄物川中流域の遺跡から

 『横手市文化財調査報告書25:宮東遺跡・十文字遺跡』2013市教委に、横手盆地の古代遺跡変遷図が、Ⅰ(5~7世紀)、Ⅱ(8世紀)、Ⅲ(9世紀前葉~中葉)、Ⅳ(9世紀後葉~10世紀前葉)、Ⅴ(10世紀中葉~11世紀)、Ⅵ(12世紀~13世紀)に分けて掲載され、さらに表5として148箇所の遺跡が横手盆地の古代遺跡消長表に載っている。 …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

雄物川下流域の遺跡から

 7~8世紀に東北地方北部に出現した『末期古墳』は、これまでの墓制にはなかった墳丘を築き、棺に納めて埋葬してはいるが、墳丘の中に埋葬するのではなく、土坑を掘って棺を安置した跡に盛土して墳丘をつくっている。このことは、続縄文文化の土坑墓と墳丘を形成する古墳文化が融合することで『末期古墳』ができたと考えられる。  同時期に五城目町岩野…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

平川市・原古墳群

八戸市鹿島沢古墳群・丹後平古墳群、おいらせ町阿光坊古墳群が造墓された7~9世紀の(終)末期古墳は、平川市尾上地区の原遺跡にも造られ、8世紀後半を中心に7世紀後半から9世紀前半のものと考えられている。 7世紀末から8世紀にかけて、ロクロを使わない土師器が出土し須恵器を伴わない遺跡が津軽地方では平川市尾上地区を中心とした浅瀬石川中流域…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

おいらせ町阿光坊古墳群と周辺の集落遺跡

 7世紀後半から9世紀後半にかけて200年間続いた馬渕川下流の丹後平古墳群から、奥入瀬川北岸にあって、6世紀末から9世紀末までの300年間におよんで継続された、おいらせ町阿光坊古墳群はおよそ8km離れている。6世紀末から8世紀末葉まで、両河川の間の地域には大きな集落はなかったようで、それぞれの古墳群を造った集団には交流は乏しかったと見ら…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

馬渕川流域の古墳群2

 7世紀にはいると、前方後円墳に代表される古墳文化が東北北部にも波及してくる。『末期古墳』は東北北部に特徴的な小規模円墳群で、6世紀の倭の古墳時代後期から終末期にかけての群集墳との共通性が高い(末期古墳の出土遺物から見える交流の諸相/藤沢敦)という。  主な『末期古墳』の分布図をみると、北上川下流・中流・上流域と線でつながり、さら…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

馬渕川流域の古墳群

一戸町御所野古墳群と二戸市諏訪前古墳群、堀野古墳  今から5000年前から4000年代前頃の縄文時代中・後期の大規模な集落跡として知られる一戸町御所野遺跡は、配石遺構群(墓域)が確定する以前とそれ以後に大別される。配石遺構群(墓域)を中心とした集落配置は、東北地方南部の大木式土器が圧倒的に増えることから、その文化圏の影響を強くうけ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

鹿角市内の古墳群

 晴れて風もない五月の朝八時すぎ、湖畔の坂を上がり発荷峠展望所にでると、先客はなくちょうど売店が開いたところだった。平安前期の西暦915年には大爆発を起こした湖面を、今出航したばかりの遊覧船がすべるように静かに水際に沿って動いていた。  展望台から数枚の写真を撮っておりたころ、乗用車が一台と観光バス一台が駐車場にはいってきたと…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

岩野山古墳群、再訪

 八戸市制施行60周年記念事業の一つとして行われたシンポジウム「東日本の末期古墳」の報告書の中に、「秋田県の末期古墳について」(富樫泰時)という論文があり、さっそく八戸市立図書館をたずねて閲覧したところ、岩野山古墳群の遺跡位置図や遺構図、さらに遺物の模写も記載されていた。  前回、五城目町を訪ねた際に岩野山古墳群の位置は「…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

五城目町岩野山古墳群

 北秋田市域のうち旧森吉町の中心部米内沢で国道105号から分岐する国道285号は五城目街道という名がある。それほどの高さは感じない山間を行くと、上小阿仁川の流れがつかず離れずに沿っていて、やがてその流れが離れた頃いくつかのトンネルを抜ける。秋田峠トンネルは上小阿仁村と五城目町との境で、越えるとやがて富津内川の流れに五城目街道は沿って行く…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

低位周氷河地域と旧石器時代 その②

 八戸市田向冷水遺跡は、その遺構・遺物から「狩猟キャンプ」であったろうとされている。その八戸市から北へ100km、太平洋に面した尻屋崎のやや南に、尻労安部遺跡がある。  洞窟遺跡という青森県内では希少な形態の尻労安倍遺跡の年代は、出土した石器の形式から2.3万年前と2.5万~2.8万年前とされている。  氷河期の下北半島は氷河の…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

低位周氷河地域と旧石器時代遺跡 その①

 『低位周氷河現象の南限と最終氷期の気候区界―鈴木秀夫 「地理学評論」1962年』で述べられている、  ―低位周氷河現象は氷期に積雪の少なかつた地域にみられるはずで,その少積雪地域を推定して、そこに求め  ればよいことになる。(略)周氷河現象を波状地という地形形態から追跡する。― を参考に南限とされる地域を訪ねた。 …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

新井田川でつながる二つの遺跡その3

 西に折爪岳(852m)を主峰とする丘陵、東は400m~500mの九戸高原がつくった幅1kmから2kmの平坦部を瀬月内川と国道340号が並行する。道はそれとわからないほどの緩やかな上りとなっている。  九戸スキー場と対面する東側の低い斜面にシラカバの一群がみえる。シラカバ林はこの先にある平庭高原が名所となっているが、その標高は70…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more