「伊紀農松原」から、京逗留の見物と旅中の旅

「伊紀農松原」では、京滞留が正月から4月までの長期におよんでいる。そのため旅籠ではなく「かり座敷」を依頼したのも当初からの予定だったようだ。その間には、1ヶ月の長旅にもでている。このような例はほかに知らない。  京滞留中の主な行き先と訪問者をあげると ●文化六年正月1日 堂上参内見物 ●正月4日 借り座敷に移る *五条通り…
コメント:0

続きを読むread more

「伊紀農松原」から、旅程

「伊紀農松原」の十月半余長旅をその行程で区分すると、ほぼ四つの期間に分けられる。 ① 田名部出立から日光への参拝と江戸逗留まで(72日間)   文化5年9月12日~11月5日。      11月6日~11月25日 江戸逗留 ② 江戸出立から伊勢神宮への参拝、京逗留と高野山登山(146日間)  文化5年11月6日~12月…
コメント:0

続きを読むread more

「伊紀農松原」から、熊谷良順の事

京都滞在中の「伊紀農松原」には、著者菊池成章の多くの知己と考えられる人名が見られる。なかでも故郷にゆかりのある人もあって、当時の人々の広域な移動に驚かされる。 なかでも、文化6年(1809)正月12日には ―知行所百姓長三郎抜け参り 同道は石持の者、下風呂湯守長四郎 との「お伊勢参り」の三人の記述があり、さらに正月20日に…
コメント:0

続きを読むread more

「伊紀農松原」から、文化六年(1809)正月八日の事

「伊紀農松原」の著者菊池成章と、華岡青洲の「春林軒門人禄」に記された菊池寛蔵との関連を探して、身近にある資料に目を通していたら、「伊紀農松原」の「文化六年正月八日」に「寛蔵」の名が記されてあった。  文化五年(1808)の歳暮に入京した菊池成章一行は、元日の公卿衆の参内を見物したあと、長期滞留のため五条に宿を借り、その八日には …
コメント:0

続きを読むread more

「伊紀農松原」から

 田名部代官所下役を退いた菊池成章は、文化五年から六年(1808・09) にかけて十ヶ月余りをかけて西国への旅をし、「伊紀農松原」(いきのまつばら)という旅行記をのこした。  菊池家には田名部のほかに、川内の石倉と下小倉平に知行地があった(「伊紀農松原」序)。石倉沢は高野川、下小倉平は川内川にそれぞれ沿った土地である。 江戸…
コメント:0

続きを読むread more

馬淵川中流、二戸市の縄文遺跡

『二戸市史第一巻「先史・古代・中世」』(2000年発行)の縄文時代は、狩猟具と考えられる草創期の尖頭器を出土した米沢(まいさわ)地内の荒谷A遺跡から始まっている。この辺は河岸段丘上にあって馬淵川の河床面とは約20mの比高差があるが、1万年前には川の岸辺だったとされる。 早期中葉の竪穴住居5棟が検出された長瀬B遺跡も米沢地内の馬淵川…
コメント:0

続きを読むread more

南部町東部(旧福地村)の遺跡から②

 苫米地『館野遺跡』をのせる丘陵は、馬淵川の過去の曲流が削り取ってつくった急崖で囲まれていて、その南端からは馬淵川を弦とするような半径1100m~1500mの半月形の浸食盆地(谷底平野)の広がりを眺望できる。盆地の奥まった所にある温泉施設「バーデパーク」の傍らを上がる道はS字を描き、天魔平地区を東西に走る農道と交差する。左折するとまもな…
コメント:0

続きを読むread more

南部町東部(旧福地村域)の遺跡から

八戸市街地から馬淵川に沿って南部町にはいる国道104号は、「しらはぎライン」という別名がある。田子町を経て秋田県大館市まで、国道103号との重複距離を含めて126.3 km。ちょうど中間点となる県境の来満(らいまん)峠は難所として知られ、田子町側に白萩平という平坦な高原が広がっている。  八戸市域の北高岩から県道に左折し、馬淵川を…
コメント:0

続きを読むread more

縄文時代の貯蔵穴③

新井田川上流に建設された世増ダム(青葉湖)の左岸展望所に江戸末期の八戸藩士蛇口伴蔵の像が建てられている。3月の上旬、開田のための水利開発事業に挑んだ人物の右手が指すダムの水面には広く氷が張っていた。  半周した高台には右岸展望所があり、真下にコンクリートのダム堤体を見ることができる。2004年に完成した水面下には、世増・畑内、そして岩…
コメント:0

続きを読むread more

縄文時代の貯蔵穴②

八戸市埋蔵文化財ニュース「掘りdayはちのへ」第5号に、-縄文時代のムラの跡ーというサブタイトル付きで紹介されている重地遺跡。おなじく「掘りdayはちのへ」第19号には、2001年度の発掘調査で竪穴住居跡35棟・土坑309基、2015年度には竪穴住居跡11棟・土坑35基を検出したと述べられている。  また、1997年の発掘調査報告書(…
コメント:0

続きを読むread more

縄文時代の貯蔵穴

約6000年前の十和田火山噴火による十和田中掫テフラ降下以降、遺跡の数は海から離れた場所や河川の奥まった処に増えていった。 十和田市中掫テフラは、下位から中掫浮石・金ヶ沢軽石・宇樽部火山灰の層に分かれており、当初十和田市中掫を模式地としていたことから名付けられたが、その後に3層がすべて見られる新郷村金ヶ沢が新しく模式地と定められて…
コメント:0

続きを読むread more

奥入瀬川中流域の遺跡⑤

十和田市郷土館では、考古展示の多くが明戸遺跡からの出土品となっている。明戸遺跡は、墓域等が検出された縄文時代晩期の成果が注目されるが、前期の円筒下層a式からd2式、中期の円筒上層a式からd式、最花式の土器が出土していることから、長く繰り返し生活の拠点として使用されていたと考えられる。 明戸遺跡は後藤川に大沢川が流れ込む、滝沢地内高…
コメント:0

続きを読むread more

奥入瀬川中流域の遺跡④

奥入瀬川中流域に、十和田火山の爆発を給源とする火山灰(十和田中掫テフラ)が降下した約6,000年前、当時の遺跡から貯蔵穴と考えられるフラスコ状ピット(土坑)が円筒下層式の土器を伴って検出されている。 奥瀬の奥入瀬川北岸に位置する中里(2)遺跡では、直径も深さも1m足らずの小型のフラスコ状ピット(土坑)が検出されていて、ほかに浅い掘…
コメント:0

続きを読むread more

奥入瀬川中流の遺跡③

寺上遺跡からは、縄文時代早期と前期中葉の土器などや、それに続く円筒下層式土器がa・b・c・d1・d2と出土していて、縄文人が長く居住したと考えられる。約6,000年前に降下した十和田中掫浮石(アワズナ)は第Ⅳ層の層位にあってその厚さは35~72cmあったと報告されている。 この寺上遺跡を特徴づけるのは、内陸の貝塚でありながら淡水性…
コメント:0

続きを読むread more

1539年(天文8)の「赤沼」

三戸南部氏の厩役人をした赤沼備中は、天文8年(1539)近習頭の奥瀬安芸との所領をめぐる訴訟に破れ、また裁定を下した三戸南部氏24代晴政には私事にも遺恨があり、奥瀬安芸を斬って聖寿寺館に火を放ち逃れる途中の諏訪神社付近で追手の下斗米昌家に討たれたという。 三戸南部氏の中世の拠点だった聖寿寺館は、南部町教委によってさかんに発掘調査が…
コメント:0

続きを読むread more

奥入瀬川中流の遺跡②

十和田湖の子ノ口(ねのくち)から流れ出た奥入瀬川は、焼山までは急崖にはさまれた渓流を成しそれより中掫(ちゅうせり)までは緩やかな谷地形となっている。この中掫付近が山地と台地の境界で、これより太平洋岸まで扇状性の台地が広がっている。 中掫から2kmほど下流の左岸、標高60mの段丘上に寺上(てらうえ)遺跡がある。 隣接する新山神社の…
コメント:0

続きを読むread more

奥入瀬川中流の遺跡、十和田市中里(2)遺跡

法量のイチョウは十和田市法量字銀杏木にあり、十和田湖伝説に登場する南祖坊の出生や、修行にかかわる説話が残されていて、南祖坊ゆかりの善正寺跡とも言われている。(同説明板より)。法量のイチョウから奥入瀬川を下ったところに中里(2)遺跡がある。 <法量の大イチョウ、2008年5月> 1997・98年の二ヵ年にわたって発掘調査を行っ…
コメント:0

続きを読むread more

十和田中掫テフラと円筒土器文化

縄文時代前期にあたる約6000年前、十和田火山の噴火によって降下した十和田中掫テフラ(To-Cu)は、十和田市中掫(ちゅうせり)地区の地層が模式地とされた(大池昭二1972)。その後、構成する下位から中掫軽石、金ヶ沢軽石、宇樽部火山灰の3部層がすべて見られる青森県新郷村金ヶ沢の層が新しい模式地と定められた(早川由紀夫1983)。 …
コメント:0

続きを読むread more

縄文人の植物利用

約1万5,000前から温暖化した気候は、約1万3,000年前には再び寒冷化し、氷期に戻ったような気温に低下し『ヤンガードリアス亜氷期(寒冷期)』といわれている。本格的な温暖化が始まるのは、約11,500年前からである。 ドリアスとは、日本では初めて採集した須川長之助にちなんでチョウノスケソウと呼ぶ高山植物のことで、北海道から本州中部以…
コメント:0

続きを読むread more

十和田火山がもたらした、縄文時代の転換期

十和田湖は6月、雲の海に沈む。 直径11kmのカルデラ湖は,4万3000年前,3万0000年前,1万5000年前に起こった3回の大規模火砕流噴火の結果として生じたものだが、6月に発荷峠から見た光景は“十和田火山”の別名が思い浮かばないほどの静けさだった。 <発荷峠から雲海の十和田湖2015年6月> 15000年前の巨大…
コメント:0

続きを読むread more