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アラ・ハバキの「道の奥」廻り
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秋田へ南から来た、ホモ・サピエンス
秋田へ南から来た、ホモ・サピエンス 秋田地方にみられる環状ブロック群の遺跡をもたらしたヒトたちは、南から到来したものと思われる。 ...続きを見る

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2019/01/22 17:09
環状ブロック群という、3万年前の “ムラ”!?
環状ブロック群という、3万年前の “ムラ”!? 日本列島の後期旧石器時代は、約四万年前から始まるとされ、約1万6千年前の土器出現期までをさし、約3万年前の姶良丹沢火山灰(AT)降下を境に前半期と後半期に分けられている。 ...続きを見る

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2019/01/17 11:03
ここから始まる、3万年以前の“ヒト”の足痕
ここから始まる、3万年以前の“ヒト”の足痕  日本列島に“ヒト”の痕跡が認められる時期については、大きく分けて二つの説があるようだ。 四万年前ごろを境として、それ以前とそれ以降である。少なくとも、3万数千年前には確実に“ヒト”の痕跡が残されていることには異論はみられない。 ...続きを見る

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2018/12/29 17:24
秋田市添川と岩見川流域にも、深浦産黒曜石 その2
秋田市添川と岩見川流域にも、深浦産黒曜石 その2  七曲台遺跡群は、御所野台地から東へ約5q地点の岩見川左岸、調査当時は河辺町松淵及び、戸島地区の台地上に位置し、後期旧石器時代前半期の諸特徴をもつ風無台T遺跡、風無台U遺跡、松木台U遺跡、松木台V遺跡の4遺跡が確認された。 ...続きを見る

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2018/12/13 12:50
秋田市添川と岩見川流域、御所野台遺跡群
秋田市添川と岩見川流域、御所野台遺跡群  ナイフ形石器が出土した古城廻U遺跡、台形様石器が出土した湯沢台牧場遺跡がある添川から県道41号を南へ約11km、交差する国道13号を横切って県道61号に出会うあたりに目指す御所野台遺跡群がある。 ...続きを見る

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2018/12/12 09:45
秋田市添川と岩見川流域にも、深浦産黒曜石 その1
秋田市添川と岩見川流域にも、深浦産黒曜石 その1  秋田市街地の東の丘陵部を南北に走る秋田道、それと時に交差しながら並走する県道41号は、昭和男鹿半島IC辺で国道7号から左折して始まる。 ...続きを見る

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2018/12/09 15:59
北秋田市小又川流域と深浦産黒曜石
北秋田市小又川流域と深浦産黒曜石  北秋田市の森吉山ダム関連遺跡群は1995年から発掘調査が始まり、2007年に終了した。当初、ダム地内となる小又川流域の遺跡は、まだ4遺跡しか知られていなかったが最終的には61ヶ所の遺跡が確認された。秋田県遺跡地図情報によると、旧石器時代の遺物が検出されたのは、「上ハ岱(うわはたい)B」「二重鳥(ふたえどり)A」「二重鳥B」「ネネム沢A」の4遺跡に上る。 ...続きを見る

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2018/12/07 16:08
深浦産黒曜石、西和賀町錦秋湖へ
深浦産黒曜石、西和賀町錦秋湖へ  北上市中心部から和賀川を遡ることおよそ20km、国道107号からJR北上線・和賀仙人駅に着いた。 ...続きを見る

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2018/11/29 15:52
深浦産黒曜石、久慈へ行く
深浦産黒曜石、久慈へ行く  侍浜町本波遺跡と山形町早坂平遺跡 ...続きを見る

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2018/11/24 12:12
男鹿半島へ、男鹿産黒曜石と大畑台遺跡
男鹿半島へ、男鹿産黒曜石と大畑台遺跡  秋田県北部は、1000m級の山々を中心とした岩手県境に沿う奥羽脊梁山脈があり、その西側に青森県西部から山形県中央部まで続く出羽山地がつづき、さらにその西の県中央部に太平(たいへい)山地がある。 ...続きを見る

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2018/11/21 12:05
男鹿半島へ、上岩川遺跡群
男鹿半島へ、上岩川遺跡群  すべての石器材料が在地のものではなく、数十km以上、場合によっては数百km以上も離れた遠隔地のものが利用されている遺跡が多く見られる。そんな遠隔地型石材の典型的な例が黒曜石であり、ほかにも良質の頁岩(けつがん)などもその可能性が高いと言われるようになってきた。 ...続きを見る

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2018/11/17 11:10
男鹿半島へ、此掛沢(このかけざわ)U遺跡
男鹿半島へ、此掛沢(このかけざわ)U遺跡 能代市中心部から南にむかうと、米代川左岸にひろがる平野を走ることになる。まもなく、浅内地区となり台地の裾から道はやや上り坂となって、目指す此掛沢遺跡は高台にある浅内小学校の正門前をすぎた平坦な田畑の中にあった。 ...続きを見る

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2018/11/12 09:12
男鹿半島へ、アオトラ石と頁岩と黒曜石
男鹿半島へ、アオトラ石と頁岩と黒曜石  石を割って道具を作っていた時代は、黒曜石、珪質頁岩(けいしつけつがん)、無斑晶質(むはんしょうしつ)安山岩、チャート(角岩)などの限られた石材をもっぱら使用し、遠くの産地まで採集に行っていたようで原産地から数百kmはなれた遺跡からそれらから作られた石器が出土することがある。 ...続きを見る

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2018/11/10 12:08
旅する黒曜石、中泊町(旧小泊村)折腰内浜
旅する黒曜石、中泊町(旧小泊村)折腰内浜  七里長浜の出来島海岸から東へ2kmほど内陸にはいると、旧木造町の丸山集落がある。南に丸山溜池があり、その向こうに大きく岩木山が雄大にかまえている。標高15〜18mの大地は、かつて松林があり北西から南東に向かい緩やかな傾斜をもつ地形であったが、現在はメロン、スイカなどの畑地栽培に造成され、ほぼ平坦な地形となっている。 ...続きを見る

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2018/11/07 17:14
旅する黒曜石、七里長浜・出来島産
旅する黒曜石、七里長浜・出来島産  石器石材としての品質の高さによって、広範囲の後期旧石器時代から縄文時代草創期の遺跡から出土する深浦産の黒曜石は、産出量の少なさによって次第に七里長浜の出来島産にとってかわられていく。 ...続きを見る

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2018/10/20 18:45
旅する、深浦の黒曜石
旅する、深浦の黒曜石  深浦は近世、正式な荷揚げができない風待ち湊だったが本来の交易湊だった鰺ヶ沢の地位をおびやかすほどの賑わいをみせた。その名残りは円覚寺に奉納された「北国船」船絵馬と隣接する「風待ち館」に飾られた実寸の3分の1の船の後尾にあらわされている。 ...続きを見る

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2018/10/13 11:24
黒曜石採取の旅、津軽平野へ
黒曜石採取の旅、津軽平野へ  沖舘川の上流、岩渡地内から津軽平野へ出るためには、浪岡地区にでなければならない。旧羽州街道や新旧の国道七号、そして奥羽本線の鉄路と東北自動車道が並行する鶴ヶ坂は、旧称を津軽坂といったように古くから津軽平野への出入り口だったと思われる。ほかに、近世には浪岡から青森湊へぬける大豆坂(まめざか)通りという現在の青森空港付近の道もよく利用されていた。 ...続きを見る

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2018/10/10 18:58
黒曜石採取の旅、沖舘川流域
黒曜石採取の旅、沖舘川流域  岩渡付近の丘陵地に源を発し、わずか11kmあまりで青森湾にそそぐ沖舘川の両岸には、旧石器から縄文時代へいくつもの遺跡がならんでいる。 ...続きを見る

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2018/10/05 12:51
黒曜石採取の旅、青森平野の遺跡
黒曜石採取の旅、青森平野の遺跡   旧石器時代終末期から縄文草創期にあたる長者久保文化期の人々は、血縁を主とする小さな集団が河川の流域に2、3軒の簡便な造りのイエを並べ、本拠地と食料採取地と生業に不可欠な石器石材地をテントで野営しながら巡っていたようだ。 ...続きを見る

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2018/09/30 17:06
深浦へ、黒曜石採取の旅
深浦へ、黒曜石採取の旅  東北町長者久保遺跡と赤平(1)遺跡から出土した深浦町産の黒曜石は、後期旧石器〜縄文草創期の石器石材として広い地域にわたって流通した跡がのこっている。2遺跡のほかにも、旧石器時代の(横浜町)吹越砂丘遺跡から細石刃2個、また(八戸市)田向冷水遺跡からはチップ2個の黒曜石製石器が出土し、遠くは新潟県、富山県、長野県や岩手県、茨城県などの遺跡からも出土例が報告されている。 ...続きを見る

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2018/09/27 10:54

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