十和田神社への道 ④

江戸後期の旅行家菅江真澄が天明8(1788)年6月に逗留先の前沢(岩手県奥州市前沢区)を出発し、7月4日三戸宿から五戸にたどり着いた。
― 八幡坂の下から西にわかれて種原村にかかり、十和田山に行く路がある。―
と「菅江真澄遊覧記2-岩手の山」に記述がある。

十和田山とは当時「十和田山青龍大権現」と呼ばれていた十和田神社のことで、この道は途中月日山を通るため「月日山道」ともいう。


― 月日山道 ―
元禄6年藩士木村又助が五戸(三戸郡)から十和田湖へ通じる道路を開いた。月日山(日月山ともいう)を経る道であったが,大不動の布施波羅密は道しるべとし「石像ノ観世音33体ヲ造営シ各所ニ安置セリ」(大不動小学校郷土史)との伝承を残している。月日山に日月山観世音が祀られている。




2010年9月30日(木)、青い空が高く広がる見事な快晴の一日であった。

野辺地から国道四号線を南下して十和田市境を越えて五戸町大学沢地内に入ったのが午前9時。ここが旧奥州街道と十和田神社への道の分岐点となっていた所。そこに今でも追分石が残っている。旧奥州街道を探索した時も見ているが、追分石は相変わらず埋もれたままで標木は朽ちて横に倒れていた。

<五戸町大学沢地内マップ>
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<三叉路>
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<追分石>
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追分石に刻されている「左 十和田」への道を進む。現在の県道168五戸切田線で十和田市米田方面を目指して行くことになる。
初めは道の左右に高木が並び視界がせまかったが、下ってまもなく前方に八甲田山系が見えてくる。後藤川に架かる種原橋を渡ると種原で三叉路に天保三年の庚申塚と年不詳の二十三夜塚が建っていた。地区の外れに天満宮があり、少しばかりのリンゴ畑に赤と黄色のリンゴが稔っていた。

向町の十字路に出る。
ここが米田地区の中心部のようで郵便局・交番・米田小・四和(しわ)中がある。

― 四和地区に統合小中学校(2009/11/12 デーリー東北) ―
   十和田市教委は、同市四和地区の米田、大不動、滝沢3小学校と四和中学校を一体的に整備した
「四和地区統合小中学校(仮称)」を四和中に開設する準備を進めている。児童減と校舎の老朽化が主な理由。
2013年4月開校を目指す。


米田・大不動・奥瀬・伝法寺の四地区から成っていた旧四和村は現在十和田市となっている。


<種原の庚申塚>
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<米田小学校>
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