尾駮の高間木、六ヶ所村

20日の月曜日夜8時ごろ、尾駮へ応援にと下北縦貫道を北へむかったら目ノ越から雪がちらつき、六ヶ所インターをおりて弥栄平を通るころにはけっこうな雪降りとなってきた。
アイスバーンのままよりは走りやすくなるからな!とまだ余裕があった。


夜11時ごろ交代勤務の出勤者を迎えに東通村老部へいく途中、泊地区からは雪が降っていなかった。
出勤者をTaxiに乗せて弥栄平に向かって進むにつれ雪降りがひどくなってきた。風もでていて雪が舞い上がり前方視界が悪い。それでも「久しぶりだねぇ」と客と声をかわしながら目的地についた。


日付がかわった1時すぎ、帰宅する交代勤務者も乗せて弥栄平から室ノ久保の坂道をくだったが、雪が降り積もりだいぶ深くなっていた。今夜の応援はこれで終わりと野辺地に帰ろうとして、下りてきた道を上りはじめたが深い雪にタイヤをとられて難渋し、なんとか上りきったが冷や汗ものだった。




菅江真澄は下北に来て2年目の寛政5(1793)年11月27日、平安中期の後撰和歌集に詠われている「尾駮の牧(おぶちのまき)」を見るため田名部を出発、東通村砂子又を経由し、11月30日に六ヶ所村の泊につき「浦の長、種市という主人のもとに宿をかりた


菅江真澄漫遊記 おぶちの牧』には


・・・出戸の浜より未申か戌亥に当たっているがたかまぎと云う所がある 高牧であろう 山の尾根のようであって周囲に水が流れ木立も深く天然の荒垣を作っている その中の原なのでこういうが昔そこに牧がっあた ここから尻尾の毛がまだら色に生え乱れた馬が生まれたのでそれを時の帝に奉ったところもっぱら尾駮の駒と呼びこの牧を尾駮の御牧と称した ・・・・この高牧の木立がだんだん荒れてまばらになってきたので牧の馬どもは牧の外に群がり出でて自分の行きたい方に移動してしまい尾駮と室の久保村(六ヶ所村)との間の相の野と云うところに食を求めて出ていってそこが相野の牧となった しかしここもあまり良い場所ではないので野辺地に近い有度に移ったのを今は倉内の野に放ってそこが牧となっているが名は有度の牧と云っている


と主人が語ったとある。



菅江真澄は尾駮まで歩をすすめると「湖の岸にある木村某という家」に宿をかりて「倉内の野=有戸の牧」をみて野辺地にでようとしたが、野辺地湊へ出る道は雪にふさがれていた。
尾駮までが限度で、深い雪と吹雪にはばまれて「倉内の野=有戸の牧」の近くまでは行けない。あとへ引き返して田名部へ帰る以外になかった。




<尾駮の三社マップ>
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<高間木蒼前神社>
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<尾駮沼の白鳥桟橋>
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この記事へのコメント

大納言
2014年01月26日 20:32
馬頭観音について、ここへコメントしちゃいますが、上小中野開拓の養豚農家Oさんの門前にも小さな馬頭観音亜があります。もともと奥さんの実家の敷地にあったものを持ってきたようなことを言ってました。

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