東京散歩、日本橋から小網町へ

野辺地からはるか700kmはなれた日本橋。

東北新幹線七戸十和田駅から盛岡・仙台そして福島をすぎても窓外の風景は白いままで、さすがに一番さむい季節を実感させられた。
土色が広がりはじめたのに気がついたのは那須塩原駅のあたりだった。水田がかさなるみごとな平地から、やがて西に特徴のある山容の筑波山がみえてきた。

このさきはほぼ人家がつづいて大宮駅に到着したような記憶がのこった。


東京駅のプラットフォームから八重洲口までの人の群れは、もう流れる川のようにすさまじく、ようやく外界にでられてホッとした。


<東京駅構内マップ>
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八重洲一丁目の表示がある地域案内板で確認し、中央通りまでいき左折しようとしたら、王冠をのせたキリンの像がたっていた。

けっこう寒い。
これがビルの谷間をふきぬける風なのだろうか?空は青いのに陽があたらないせいか!

すぐに目の前に日本橋が姿をみせた。
日本国道路元標と東京市道路元標、それに獅子の像と 麒麟の像。天蓋のように首都高速道路が空をおおってしまっていて、暗いなかでの撮影となった。

<二つの道路元標>
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北詰から小網町方面へ右折して日本橋川にそって歩く。
小舟町につづいて小網町となり、川沿いの児童公園の反対側に小網神社の案内があり、道路をわたって歩くほどもなく神社はあった。

「強運厄除けの神・東京銭洗い弁天の社」とあり、「東京 下町 八福神」「日本橋七福神講」の幟がひるがえっていて想像よりも大きく、なにより神官がいてお札を売っていた。ちょうど昼時間からなのか、みじかい間に4~5名の客がいた。

さらに日本橋川ぞいに歩をすすめると鎧(よろい)橋があり、そのたもとに「鎧橋」と対岸に「鎧の渡し跡」の案内板がたてられていた。
ここには東京証券取引所があり、そのまえをいくとこんどは「兜神社」があった。

もちろん「鎧」と「兜」は対をなしたもので、源頼義や平将門の伝説をいまにつたえている。


小網町は江戸の内陸部の船荷の荷揚げ場になっていて,利根川と江戸川合流地点である境町辺りから奥州や北関東からの旅人をのせた川船も多くの人を運んできた。ここは海産物問屋、回船問屋などが多く、また船宿もあった。


<小網神社>
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<鎧の渡し跡>
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<兜神社の兜岩>
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