深浦産黒曜石、西和賀町錦秋湖へ
北上市中心部から和賀川を遡ることおよそ20km、国道107号からJR北上線・和賀仙人駅に着いた。
途中、石羽根ダム湖畔広場に正岡子規の文学碑が車窓からもながめられた。1893年(明治26)の東北行「はて知らずの記」を著した子規にちなんで国道107号は「子規ライン」の愛称がある。このあたりから地勢は平野から山間へと変わり、和賀川も蛇行を繰り返していた。
和賀は古くから伝えられる地名だが、「わか」と訓み、駅名も「わかせんにん」と正確にかなをふっている。
駅から出て、国道107号から和賀川の近くを走る旧道から、その先端部の高台にはいる道をめざしたが見逃したらしい。国道に合流してから仙人橋手前でもどり、ようやく右折する細い道にはいることができた。すぐにJR北上線があり、踏切に「学校踏切」の名がある。渡ると十字路で、左に学校があったらしい、右に行きたかったが先に倒れた大木が横たわっており直進した。ゆるい右曲がりの上り坂ですぐに右手に神社が見えた。
和賀仙人遺跡は神社の南に位置する。
奥州市岩洞堤遺跡報告書に記載された「県内の旧石器時代の遺跡」によると、和賀仙人遺跡は
―岩手県下で初めて旧石器文化の存在が確認された遺跡として知られる。仙人小学校付近にあり、北本内川と和賀川の合流地点にほど近い河岸段丘上に立地する。-
とあり、ここにある山神社とその南にあってバラ線に区切られた平坦地で間違いないようだ。
また、同遺跡から出土した石器は
―総数91点を数え、ナイフ形石器・尖頭器・彫刻刀石器・掻器などのほか、石刃・ハンマー・台石などで、東山型ナイフ形石器の分布の広がりを明らかにした点は特筆される。-
としている。
石器石材は付近の河川で採取された頁岩が多数を占めているが、わずかに他から搬入されたと思われる黒曜石製石器も出土している。この黒曜石の原産地についてはわからない。
<和賀仙人~峠山周辺マップ>
<和賀仙人遺跡と「山神社」>
<和賀仙人「学校踏切」>
道の駅錦秋湖に立ち寄ると、平日にもかかわらずけっこうな人出があって、なかには待ち合わせたガイドと挨拶をかわす人たちもいた。登山ガイドにしては服装が軽いようだが・・・
国道107号から左折して天ヶ瀬橋をわたる。前九年の戦いの史跡案内が橋の前後に立てられている。ちょうど工事中でもあり、素通りしてまもなく耳取Ⅰ遺跡の範囲内にはいった。下へも上へも歩くような道も見当たらず、遠目に大きくえぐれた崖や湖水を眺め、ゆだ錦秋湖駅前をちょっと歩いて終わった。
耳取Ⅰ遺跡からは、7ヶ所の石器ブロックが発見されて後期旧石器時代の彫刻刀形石器1点が出土し、その石材は深浦産の黒曜石とされている。
気をとり直して秋田道錦秋湖SAをめざして東へクルマを向けると、赤い橋で南本内川をすぎて峠道のような上りカーブを走る。左に温泉のオアシス館、右にはキャンプ場と尾アークゴルフ場の広く平坦な場所に出た。峠山牧場Ⅰ遺跡は秋田道のSAのところから南へ広がっているようだから、ちょうど遺跡の中央にいるらしい。
数人のグループがあづまやで休憩していた。
峠山一里塚まで足を伸ばしてみた。以前は牧場とスキー場まであったところなのだが、その面影をしのばせるものは見当たらず、ただ雑木が立ち並ぶだけで見晴らしもなく湖水も見られなかった。
峠山牧場Ⅰ遺跡は、和賀川との比高差が約60mあり、遺跡(A地区)からは、後期旧石器時代の七つの文化層と39の石器ブロックが発見され、ナイフ形石器・掻器・石刃・石核・剥片・屑片等の深浦産黒曜石製石器が出土している。
また同遺跡B地区からは、旧石器時代の石器集中区2カ所が発見されている。石器の器種組成はナイフ形石器・彫刻刀形石器・削器・掻器・石刃などから構成され、石材は頁岩が大多数で産地は和賀川流域であった。
<耳取Ⅰ遺跡周辺>
<ゆだ錦秋湖駅前から>
<峠山牧場Ⅰ遺跡全景/同報告書>
<峠山一里塚と孫作地蔵尊>
<峠山Ⅰ遺跡(峠山パークランド)>
<断崖下を流れる南本内川>
同報告書は
―現在、峠山牧場I遺跡の立地する場所は、錦秋湖の南側において一際高く突出した段丘として、おそらく当時からの原風景を保つて、今もなお我々にその存在感を示している。―
と、その総括の最後を結んでいる。
途中、石羽根ダム湖畔広場に正岡子規の文学碑が車窓からもながめられた。1893年(明治26)の東北行「はて知らずの記」を著した子規にちなんで国道107号は「子規ライン」の愛称がある。このあたりから地勢は平野から山間へと変わり、和賀川も蛇行を繰り返していた。
和賀は古くから伝えられる地名だが、「わか」と訓み、駅名も「わかせんにん」と正確にかなをふっている。
駅から出て、国道107号から和賀川の近くを走る旧道から、その先端部の高台にはいる道をめざしたが見逃したらしい。国道に合流してから仙人橋手前でもどり、ようやく右折する細い道にはいることができた。すぐにJR北上線があり、踏切に「学校踏切」の名がある。渡ると十字路で、左に学校があったらしい、右に行きたかったが先に倒れた大木が横たわっており直進した。ゆるい右曲がりの上り坂ですぐに右手に神社が見えた。
和賀仙人遺跡は神社の南に位置する。
奥州市岩洞堤遺跡報告書に記載された「県内の旧石器時代の遺跡」によると、和賀仙人遺跡は
―岩手県下で初めて旧石器文化の存在が確認された遺跡として知られる。仙人小学校付近にあり、北本内川と和賀川の合流地点にほど近い河岸段丘上に立地する。-
とあり、ここにある山神社とその南にあってバラ線に区切られた平坦地で間違いないようだ。
また、同遺跡から出土した石器は
―総数91点を数え、ナイフ形石器・尖頭器・彫刻刀石器・掻器などのほか、石刃・ハンマー・台石などで、東山型ナイフ形石器の分布の広がりを明らかにした点は特筆される。-
としている。
石器石材は付近の河川で採取された頁岩が多数を占めているが、わずかに他から搬入されたと思われる黒曜石製石器も出土している。この黒曜石の原産地についてはわからない。
<和賀仙人~峠山周辺マップ>
<和賀仙人遺跡と「山神社」>
<和賀仙人「学校踏切」>
道の駅錦秋湖に立ち寄ると、平日にもかかわらずけっこうな人出があって、なかには待ち合わせたガイドと挨拶をかわす人たちもいた。登山ガイドにしては服装が軽いようだが・・・
国道107号から左折して天ヶ瀬橋をわたる。前九年の戦いの史跡案内が橋の前後に立てられている。ちょうど工事中でもあり、素通りしてまもなく耳取Ⅰ遺跡の範囲内にはいった。下へも上へも歩くような道も見当たらず、遠目に大きくえぐれた崖や湖水を眺め、ゆだ錦秋湖駅前をちょっと歩いて終わった。
耳取Ⅰ遺跡からは、7ヶ所の石器ブロックが発見されて後期旧石器時代の彫刻刀形石器1点が出土し、その石材は深浦産の黒曜石とされている。
気をとり直して秋田道錦秋湖SAをめざして東へクルマを向けると、赤い橋で南本内川をすぎて峠道のような上りカーブを走る。左に温泉のオアシス館、右にはキャンプ場と尾アークゴルフ場の広く平坦な場所に出た。峠山牧場Ⅰ遺跡は秋田道のSAのところから南へ広がっているようだから、ちょうど遺跡の中央にいるらしい。
数人のグループがあづまやで休憩していた。
峠山一里塚まで足を伸ばしてみた。以前は牧場とスキー場まであったところなのだが、その面影をしのばせるものは見当たらず、ただ雑木が立ち並ぶだけで見晴らしもなく湖水も見られなかった。
峠山牧場Ⅰ遺跡は、和賀川との比高差が約60mあり、遺跡(A地区)からは、後期旧石器時代の七つの文化層と39の石器ブロックが発見され、ナイフ形石器・掻器・石刃・石核・剥片・屑片等の深浦産黒曜石製石器が出土している。
また同遺跡B地区からは、旧石器時代の石器集中区2カ所が発見されている。石器の器種組成はナイフ形石器・彫刻刀形石器・削器・掻器・石刃などから構成され、石材は頁岩が大多数で産地は和賀川流域であった。
<耳取Ⅰ遺跡周辺>
<ゆだ錦秋湖駅前から>
<峠山牧場Ⅰ遺跡全景/同報告書>
<峠山一里塚と孫作地蔵尊>
<峠山Ⅰ遺跡(峠山パークランド)>
<断崖下を流れる南本内川>
同報告書は
―現在、峠山牧場I遺跡の立地する場所は、錦秋湖の南側において一際高く突出した段丘として、おそらく当時からの原風景を保つて、今もなお我々にその存在感を示している。―
と、その総括の最後を結んでいる。









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