秋田市添川と岩見川流域、御所野台遺跡群
ナイフ形石器が出土した古城廻Ⅱ遺跡、台形様石器が出土した湯沢台牧場遺跡がある添川から県道41号を南へ約11km、交差する国道13号を横切って県道61号に出会うあたりに目指す御所野台遺跡群がある。
秋田市街からだと、国道13号線を南下して仁井田、横山を過ぎ、坂を登ると標高約40m前後の広大な御所野台地が開けている。また、末戸台とも呼ばれている平坦な高台だ。
秋田新都市開発整備事業は、秋田テクノポリス計画の中核として、秋田市における既成市街地の都市機能を補完し新たに地域社会の核としての複合的新都市を整備するものである。当初の計画では面積は約380ha、計画人口11,300人の事業だったという。
今ここには、御所野総合公園、秋田テルサ(勤労者福祉)、中央シルバーエリア(老人福祉総合エリア)や御所野小学校、御所野学院(中高一貫教育校)とイオンモール秋田、フレスポ御所野店などの商業施設もある。
1982年(昭和57)から始められた遺跡発掘調査の結果、御所野台地の旧石器時代遺跡は7遺跡で、台形様石器が主体の地蔵田(じぞうでん)遺跡(11)、狸崎(むじなざき)B遺跡Ⅱ群(9)、米ヶ森型台形様石器が主体の下堤(しもづつみ)G遺跡(3)、細石刃石器が主体の狸崎B遺跡Ⅰ群(9)、下堤D遺跡(31)が確認された。その他時期不明であるが、坂ノ上F遺跡(7)で石刃が、地蔵田A遺跡(10)と秋大農場南遺跡(26)で剥片類が出土している。
ほかに、御所野台地の東に隣接する古野(この)遺跡からも、旧石器時代のナイフ形石器が1点出土している。
<御所野台地上空写真/御所野総合公園管理事務所展示室>
<御所野台地地質調査図/秋田新都市開発報告書1986-1地蔵田B、台、湯ノ沢から>
上記の7つの旧石器時代遺跡のうち、地蔵田遺跡が2011年、下堤G遺跡は2013年にそれぞれ本報告書とは別に旧石器時代編として詳細な報告書がだされている。
地蔵田遺跡報告書によると、旧石器資料の使用石材は、99%以上が珪質頁岩製であり、ほとんどのトゥール類の素材となっている。そして主要なトゥール類は、石斧・ナイフ形石器・ペン先形ナイフ形石器・台形様石器・サイドスクレイパー・エンドスクレイパー・ノッチ・鋸歯縁石器・礫器である。
石斧は、後期旧石器時代前半期を特徴付ける石器であり、4点出土している。ペン先形ナイフ形石器、台形様石器も、後期旧石器時代前半期を中心にバリエーションをもちながら展開する特徴的な石器器種である。
下堤G遺跡からは二つのブロックが確認されたが、ブロック1が主要な部分である。その平面分布をみると、東西約12 m、南北約10 mに広がる円形を呈しており、所謂「円形石器分布」(稲田2001)や「大型円形状ブロック」(秋田県教育委員会2006)と呼ばれるものに該当する。また、礫がまとまって出土する「礫群」が3箇所検出されている。礫の破損や表皮の剥落が認められ、火熱による影響がみられることから、遺跡内に厨房空間があった可能性が高い、と同報告書では後期旧石器時代の”ムラ“の様子を推定していた。
イオンモールから左回りに秋田テルサの前の通りをいくと、御所野総合公園の標示があり右折して駐車場にはいった。遺跡群の地理的輪郭もぼんやりしていたので、まずは「弥生っ子村」への木枠の階段をあがる。すぐに、復元した木柵と草葺の屋根が見え、弥生時代の地蔵田“ムラ”が現れた。東側の鉄塔が立っているあたりが旧石器時代の遺跡範囲で、当時は地蔵川がつくる深い沢に面していたようだ。
北側に2階から見るくらいの高さがある展望所が設けられている。備えられた遺構図越しに復元された遺跡が見られ臨場感を高揚させてくれる。こういう、平面図と立体的な復元をひと目にすることでよりいっそうの理解が進むと改めて感心させられた。
管理事務所内にある発掘資料展示室はこじんまりとしたものだったが、発掘調査当時の上空写真、遺跡図それにジオラマまで展示してあり、報告書の紙上や遺跡復元での理解を深めさせてくれる。
展示室をでて、秋大農場南遺跡と地蔵田A遺跡、それに狸崎B遺跡の旧石器時代の遺跡3ヶ所がならぶ、南側の台地のヘリから低地がどんなふうに見えるか歩いたが、雑木林にさえぎられて満足な眺望はなく住宅地に近づいてしまった。
<御所野総合公園管理事務所>
<弥生っ子村>
<旧石器時代の遺跡>
<展望所から>
<御所野台地遺跡群ジオラマ/御所野総合公園管理事務所展示室>
<御所野台遺跡群マップ/御所野総合公園管理事務所展示室>
<地蔵田遺跡・時代色分け図/御所野総合公園管理事務所展示室>
<石斧を中心とした出土石器/御所野総合公園管理事務所展示室>
秋田市街からだと、国道13号線を南下して仁井田、横山を過ぎ、坂を登ると標高約40m前後の広大な御所野台地が開けている。また、末戸台とも呼ばれている平坦な高台だ。
秋田新都市開発整備事業は、秋田テクノポリス計画の中核として、秋田市における既成市街地の都市機能を補完し新たに地域社会の核としての複合的新都市を整備するものである。当初の計画では面積は約380ha、計画人口11,300人の事業だったという。
今ここには、御所野総合公園、秋田テルサ(勤労者福祉)、中央シルバーエリア(老人福祉総合エリア)や御所野小学校、御所野学院(中高一貫教育校)とイオンモール秋田、フレスポ御所野店などの商業施設もある。
1982年(昭和57)から始められた遺跡発掘調査の結果、御所野台地の旧石器時代遺跡は7遺跡で、台形様石器が主体の地蔵田(じぞうでん)遺跡(11)、狸崎(むじなざき)B遺跡Ⅱ群(9)、米ヶ森型台形様石器が主体の下堤(しもづつみ)G遺跡(3)、細石刃石器が主体の狸崎B遺跡Ⅰ群(9)、下堤D遺跡(31)が確認された。その他時期不明であるが、坂ノ上F遺跡(7)で石刃が、地蔵田A遺跡(10)と秋大農場南遺跡(26)で剥片類が出土している。
ほかに、御所野台地の東に隣接する古野(この)遺跡からも、旧石器時代のナイフ形石器が1点出土している。
<御所野台地上空写真/御所野総合公園管理事務所展示室>
<御所野台地地質調査図/秋田新都市開発報告書1986-1地蔵田B、台、湯ノ沢から>
上記の7つの旧石器時代遺跡のうち、地蔵田遺跡が2011年、下堤G遺跡は2013年にそれぞれ本報告書とは別に旧石器時代編として詳細な報告書がだされている。
地蔵田遺跡報告書によると、旧石器資料の使用石材は、99%以上が珪質頁岩製であり、ほとんどのトゥール類の素材となっている。そして主要なトゥール類は、石斧・ナイフ形石器・ペン先形ナイフ形石器・台形様石器・サイドスクレイパー・エンドスクレイパー・ノッチ・鋸歯縁石器・礫器である。
石斧は、後期旧石器時代前半期を特徴付ける石器であり、4点出土している。ペン先形ナイフ形石器、台形様石器も、後期旧石器時代前半期を中心にバリエーションをもちながら展開する特徴的な石器器種である。
下堤G遺跡からは二つのブロックが確認されたが、ブロック1が主要な部分である。その平面分布をみると、東西約12 m、南北約10 mに広がる円形を呈しており、所謂「円形石器分布」(稲田2001)や「大型円形状ブロック」(秋田県教育委員会2006)と呼ばれるものに該当する。また、礫がまとまって出土する「礫群」が3箇所検出されている。礫の破損や表皮の剥落が認められ、火熱による影響がみられることから、遺跡内に厨房空間があった可能性が高い、と同報告書では後期旧石器時代の”ムラ“の様子を推定していた。
イオンモールから左回りに秋田テルサの前の通りをいくと、御所野総合公園の標示があり右折して駐車場にはいった。遺跡群の地理的輪郭もぼんやりしていたので、まずは「弥生っ子村」への木枠の階段をあがる。すぐに、復元した木柵と草葺の屋根が見え、弥生時代の地蔵田“ムラ”が現れた。東側の鉄塔が立っているあたりが旧石器時代の遺跡範囲で、当時は地蔵川がつくる深い沢に面していたようだ。
北側に2階から見るくらいの高さがある展望所が設けられている。備えられた遺構図越しに復元された遺跡が見られ臨場感を高揚させてくれる。こういう、平面図と立体的な復元をひと目にすることでよりいっそうの理解が進むと改めて感心させられた。
管理事務所内にある発掘資料展示室はこじんまりとしたものだったが、発掘調査当時の上空写真、遺跡図それにジオラマまで展示してあり、報告書の紙上や遺跡復元での理解を深めさせてくれる。
展示室をでて、秋大農場南遺跡と地蔵田A遺跡、それに狸崎B遺跡の旧石器時代の遺跡3ヶ所がならぶ、南側の台地のヘリから低地がどんなふうに見えるか歩いたが、雑木林にさえぎられて満足な眺望はなく住宅地に近づいてしまった。
<御所野総合公園管理事務所>
<弥生っ子村>
<旧石器時代の遺跡>
<展望所から>
<御所野台地遺跡群ジオラマ/御所野総合公園管理事務所展示室>
<御所野台遺跡群マップ/御所野総合公園管理事務所展示室>
<地蔵田遺跡・時代色分け図/御所野総合公園管理事務所展示室>
<石斧を中心とした出土石器/御所野総合公園管理事務所展示室>










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