岩野山古墳群、再訪


 八戸市制施行60周年記念事業の一つとして行われたシンポジウム「東日本の末期古墳」の報告書の中に、「秋田県の末期古墳について」(富樫泰時)という論文があり、さっそく八戸市立図書館をたずねて閲覧したところ、岩野山古墳群の遺跡位置図や遺構図、さらに遺物の模写も記載されていた。


 前回、五城目町を訪ねた際に岩野山古墳群の位置は「秋田県遺跡地図情報」に記された、上樋口集落の南側の範囲を歩いてまわった。

「秋田県の末期古墳について」に載っている、「岩野山」(1975、3)から転載された遺構図の調査区は、「秋田県遺跡地図情報」の遺跡範囲よりやや南に位置している。

 ただ、50年ちかい以前の地図にある「養護老人ホーム森山荘」の位置と遺跡の位置が、現在の地図でみるとズレがあった。集落と道路との地形などから考えると、「老人ホーム」が移転したとすれば整合性がみえる。

 五城目町のHPでは創刊号からの「広報」が読める。
「43号」昭和35年12月3日(土曜日)には-奈良時代のマガ玉、太刀 岩野山から発掘―と題した「公民館だより」が、その詳細を伝えている。

 そして、平成3年(1991年)6月15日№662には―老人ホーム「森山荘」完成―と大きな文字で、そのニュースを載せ、-移転場所は現在地から南側へ約百五十メートル入った所―とあった。

<発掘調査時の岩野山古墳群遺跡図から>
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<現在の地図に転載した遺跡関連マップ>
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 この広報№662号と№663号には、「五城目人物山脈」の大石孫右衛門(上)(下)があり、江戸末期に行われた富津内川の改修工事について述べられている。

HPにある「五城目町史デジタルデータ」古代には、岩野山古墳群についても項目をたてて詳細に触れられているが、その最後のページに

―そのころ、馬場目川はいまの野田集落の間から、八郎潟町小池のあたりを流れ、夜叉袋と真坂の間に川口があったらしい。-

とある。馬場目川の流路が変わった時期は、前期の改修工事を指すのかはわからない。


<五城目町周辺の古代遺跡マップ>
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大型連休がおわってまもなく、ふたたび岩野山古墳群を訪ねてみた。

今回は、「老人ホーム森山荘」の正面前の道から、やや曲がりをもった山道をはいって行くとすぐに、前回上樋口集落からの道と出会った。その十字路から右に道を上るとすぐに遺跡案内板が目にはいってきた。


<森山荘正面からの道>
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<岩野山古墳群>
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<遺跡案内板>
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