羽州街道、大釈迦峠へ(大釈迦集落)
09年末に杉沢地内を歩いた後、冬を越え春になってから、ふたたび羽州街道を歩き始めた。
5月中旬、旧街道わきにひろがる水田では農作業にいそしむ人たちの姿が多く見られ、桜もかろうじて八重桜か山桜が残っているだけだった。
高屋敷・徳才子をすぎて大釈迦にはいる。
この辺りにも、旧村境や神社の境内に、庚申塚や百萬遍が決められたように建てられている。
大釈迦の集落は旧国道から右に入る。
ここの入り口にも当然のように百萬遍が並んでいた。
道は左に曲がりをみせた後、北口までなだらかな上りで一直線だ。左側に用水路が流れている。
曲がってすぐ左側のブロック塀に囲まれた屋敷の中央に大きな石碑が、松の木を中にして二基建っていた。
「明治天皇御駐輦碑」 (めいじてんのうごちゅうれんひ)と「明治天皇大釈迦御小休所」とある。
折りしも工事中の作業員が休憩をとっていたが、その先から、やはり羽州街道を歩いているのだろう一人の似たような年恰好の旅行者を目にしたが、互いに挨拶を交わすこともなくすれ違った。
大釈迦集落の北口にも百萬遍が建っていた。
<旧羽州街道わきの水田>
<街道わきの桜も葉桜>
<明治天皇石碑>
<大釈迦、農家裏手のリンゴ畑>
<大釈迦北口の百萬遍>
柳久保に入り、五所川原方面へ向かう国道101号線の分岐点に、元光寺とその上に柳久保神社がある。
元光寺の前に6体の地蔵が並んでいるが、「モビリテイ 地蔵」と刻銘されていた。
ここを過ぎると、旧羽州街道は山中に分け入る。
<モビリテイ 地蔵>
<大釈迦峠へ、柳久保>
5月中旬、旧街道わきにひろがる水田では農作業にいそしむ人たちの姿が多く見られ、桜もかろうじて八重桜か山桜が残っているだけだった。
高屋敷・徳才子をすぎて大釈迦にはいる。
この辺りにも、旧村境や神社の境内に、庚申塚や百萬遍が決められたように建てられている。
大釈迦の集落は旧国道から右に入る。
ここの入り口にも当然のように百萬遍が並んでいた。
道は左に曲がりをみせた後、北口までなだらかな上りで一直線だ。左側に用水路が流れている。
曲がってすぐ左側のブロック塀に囲まれた屋敷の中央に大きな石碑が、松の木を中にして二基建っていた。
「明治天皇御駐輦碑」 (めいじてんのうごちゅうれんひ)と「明治天皇大釈迦御小休所」とある。
折りしも工事中の作業員が休憩をとっていたが、その先から、やはり羽州街道を歩いているのだろう一人の似たような年恰好の旅行者を目にしたが、互いに挨拶を交わすこともなくすれ違った。
大釈迦集落の北口にも百萬遍が建っていた。
<旧羽州街道わきの水田>
<街道わきの桜も葉桜>
<明治天皇石碑>
<大釈迦、農家裏手のリンゴ畑>
<大釈迦北口の百萬遍>
柳久保に入り、五所川原方面へ向かう国道101号線の分岐点に、元光寺とその上に柳久保神社がある。
元光寺の前に6体の地蔵が並んでいるが、「モビリテイ 地蔵」と刻銘されていた。
ここを過ぎると、旧羽州街道は山中に分け入る。
<モビリテイ 地蔵>
<大釈迦峠へ、柳久保>







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