『大豆坂通』を歩く④
― 加禮澤村家十一軒 浪岡より艮(うしとら:東北の方角)の方壱里半、此所も三十三軒の所四軒残れり。其後又タ集まりて家を成して十一軒にはなりぬるとぞ。―
高山彦九郎が「北行日記」に記した、飢饉後の王余魚沢集落の様子である。
寛政二(1790)年8月から6,7年ほど前の天明三、四(1783~84)年、東北地方は「卯年のケガヂ(飢饉)」に襲われた。軒数の記述はその惨状をしるしたものだ。
稲荷神社からまっすぐに伸びた道の両側に人家はつらなっている。北は山につづき南は下を流れる浪岡川に落ちていく。中ほどまでくると左に分かれる上り道があり、これが旧大豆坂通だ。
すぐに人家は途切れ、杉木立にかこまれたその根元に「庚申塚」があった。
坂道の右手にある旧大豆坂小学校を利用した「王余魚沢倶楽部」を過ぎると建物はなくなり、雑木林が道を覆ってくる。
上がりきったところで道は三叉路になり、左へ行くと新しい空港への道路で走るクルマが見える。
右へ行く。
<県道と旧道との分岐点>
<庚申塚>
<旧大豆坂通>
― 坂を上る高陣場と号す古戦場のよし ―
このあたりは青森空港の西のはずれに位置し、平坦に整地された後のようで高陣場山かわからなかった。旧道と思われる道も作業車が行き来できるように改良されていて趣はなくたんたんと歩をすすめる。この道は空港管理事務所の掲示板に示されている図には「町道 豆坂線」とかかれている。
かなり下に県道がみえる。
<下方に見える県道>
伐採中のところもあり、大型の林木運搬トラックも行く。
ひどく雨が降っている。
やがてゴルフ場に出た。県道と合流して空港の東のはずれを行く。
― 坂を下る、高田の岳見ゆ 是れを大豆坂といふ。―
この坂の入り口は結局探すことはできなかった。
道路の東側にいくつか畑が点在している。作業中の老夫婦にいくつか尋ねたが、迷惑がらずに親切に答えてもらった。この畑の横に県道にそって古い道が一部残っていた。
<大豆坂の上から青森市街を望む>
高山彦九郎が「北行日記」に記した、飢饉後の王余魚沢集落の様子である。
寛政二(1790)年8月から6,7年ほど前の天明三、四(1783~84)年、東北地方は「卯年のケガヂ(飢饉)」に襲われた。軒数の記述はその惨状をしるしたものだ。
稲荷神社からまっすぐに伸びた道の両側に人家はつらなっている。北は山につづき南は下を流れる浪岡川に落ちていく。中ほどまでくると左に分かれる上り道があり、これが旧大豆坂通だ。
すぐに人家は途切れ、杉木立にかこまれたその根元に「庚申塚」があった。
坂道の右手にある旧大豆坂小学校を利用した「王余魚沢倶楽部」を過ぎると建物はなくなり、雑木林が道を覆ってくる。
上がりきったところで道は三叉路になり、左へ行くと新しい空港への道路で走るクルマが見える。
右へ行く。
<県道と旧道との分岐点>
<庚申塚>
<旧大豆坂通>
― 坂を上る高陣場と号す古戦場のよし ―
このあたりは青森空港の西のはずれに位置し、平坦に整地された後のようで高陣場山かわからなかった。旧道と思われる道も作業車が行き来できるように改良されていて趣はなくたんたんと歩をすすめる。この道は空港管理事務所の掲示板に示されている図には「町道 豆坂線」とかかれている。
かなり下に県道がみえる。
<下方に見える県道>
伐採中のところもあり、大型の林木運搬トラックも行く。
ひどく雨が降っている。
やがてゴルフ場に出た。県道と合流して空港の東のはずれを行く。
― 坂を下る、高田の岳見ゆ 是れを大豆坂といふ。―
この坂の入り口は結局探すことはできなかった。
道路の東側にいくつか畑が点在している。作業中の老夫婦にいくつか尋ねたが、迷惑がらずに親切に答えてもらった。この畑の横に県道にそって古い道が一部残っていた。
<大豆坂の上から青森市街を望む>





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