野辺地あれこれ、巫女(イタコ)沼は今
野辺地町の北端に位置する向田地区。
国道279号線とJR大湊線が交差する「モリの踏切」を六ヶ所村方面へ右折すると、雲雀牧場があってまもなく小さな沼がみえる。巫女(イタコ)沼は、この沼にかくれて見づらいが、奥にあってやや大きい。
<巫女(イタコ)沼マップ>
江戸後期の盛岡城以北・下北までの領内を巡った絵入り紀行文「北奥路程記」から野辺地以北の集落名を拾うと、干草橋・木明・明前・蟹田・有戸と五ヶ村つづき、このあと「マケノサワ」「メノコシ川」「アウハタ川」「モリノ川」「大明神川」「泊川」と沢や川とおぼしき名が記されていて、吹越・百目木にはふたたび人家が描かれている。
だが、「毛利」「泊川」にも数軒の家があって塩を作ったりして生活していたが飢饉等により「潰れ村」になったという。有戸地区には現在も「毛利」という苗字をもつ家がある。
<北奥路程記 から「もりの踏切付近」>
巫女(イタコ)沼の伝説-「野辺地雑記」より
昔、親子とは思われないが、年の差の開いた二人のイタコ(巫女)がこの沼辺に住みついた。-略- 沼は人のくるとてない深い山の中にある。二人は沼でうなぎを取り、これを業とした。-略-
ある日、その日もまた二人はイカダに乗ってうなぎ取りに出かけた。
うなぎが取れなければあすの生活もできない二人は、日が暮れようとするまで漁をつづけたが、沼の水面から飛び上がった見たこともない大きな魚に若い方のイタコが、その大きな口に呑みこまれてしまった。
それ以来、若いイタコの霊を慰めようと誰いうともなく「イタコ沼」と呼ぶようになった、という。
今、巫女(イタコ)沼と小さな二つの沼の周りを大きな風車が舞っている。
雲雀牧場の敷地内になるので「防疫上」の観点から立ち入り禁止になっていてはいられないが、最近町道に近い小沼のまわりの雑木が山砂採取のため切り払われて視界が良くなっている。
すこし小沼に近寄って巫女(イタコ)沼をみたが、やはりまだ遠めで、その大きさは見られない。
何とか近寄れないものだろうか?
牧場敷地内だけれども、風車と巫女(イタコ)沼をつなぐ遊歩道ができたらいいな、と思う。
<奥のほうが巫女(イタコ)沼>
国道279号線とJR大湊線が交差する「モリの踏切」を六ヶ所村方面へ右折すると、雲雀牧場があってまもなく小さな沼がみえる。巫女(イタコ)沼は、この沼にかくれて見づらいが、奥にあってやや大きい。
<巫女(イタコ)沼マップ>
江戸後期の盛岡城以北・下北までの領内を巡った絵入り紀行文「北奥路程記」から野辺地以北の集落名を拾うと、干草橋・木明・明前・蟹田・有戸と五ヶ村つづき、このあと「マケノサワ」「メノコシ川」「アウハタ川」「モリノ川」「大明神川」「泊川」と沢や川とおぼしき名が記されていて、吹越・百目木にはふたたび人家が描かれている。
だが、「毛利」「泊川」にも数軒の家があって塩を作ったりして生活していたが飢饉等により「潰れ村」になったという。有戸地区には現在も「毛利」という苗字をもつ家がある。
<北奥路程記 から「もりの踏切付近」>
巫女(イタコ)沼の伝説-「野辺地雑記」より
昔、親子とは思われないが、年の差の開いた二人のイタコ(巫女)がこの沼辺に住みついた。-略- 沼は人のくるとてない深い山の中にある。二人は沼でうなぎを取り、これを業とした。-略-
ある日、その日もまた二人はイカダに乗ってうなぎ取りに出かけた。
うなぎが取れなければあすの生活もできない二人は、日が暮れようとするまで漁をつづけたが、沼の水面から飛び上がった見たこともない大きな魚に若い方のイタコが、その大きな口に呑みこまれてしまった。
それ以来、若いイタコの霊を慰めようと誰いうともなく「イタコ沼」と呼ぶようになった、という。
今、巫女(イタコ)沼と小さな二つの沼の周りを大きな風車が舞っている。
雲雀牧場の敷地内になるので「防疫上」の観点から立ち入り禁止になっていてはいられないが、最近町道に近い小沼のまわりの雑木が山砂採取のため切り払われて視界が良くなっている。
すこし小沼に近寄って巫女(イタコ)沼をみたが、やはりまだ遠めで、その大きさは見られない。
何とか近寄れないものだろうか?
牧場敷地内だけれども、風車と巫女(イタコ)沼をつなぐ遊歩道ができたらいいな、と思う。
<奥のほうが巫女(イタコ)沼>



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