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アラ・ハバキの「道の奥」廻り
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土瀝青も旅をする、安比川から馬淵川へ
土瀝青も旅をする、安比川から馬淵川へ 安比川上流部にある赤坂田(T)(U)遺跡から、国道282号を北へ向かうとまもなく安代JVをすぎて右折する。安比川もまた右折し、県道6号と八戸道と並行して旧浄法寺町域(二戸市)を東へ流れ、やがて馬淵川と合流する。 ...続きを見る

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2018/07/20 10:28
土瀝青も旅をする、奥羽山脈越え2
土瀝青も旅をする、奥羽山脈越え2  湯瀬温泉から米代川をさかのぼるとまもなく岩手県境を越え、八幡平市(旧安代町)兄畑地区となる。 ...続きを見る

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2018/07/19 17:01
土瀝青も旅をする、奥羽山脈越え
土瀝青も旅をする、奥羽山脈越え  米代川の源流部は秋田・岩手・青森の県境にまたがる中岳(標高1024m)にあり、岩手県八幡平市(旧安代町地内)田山を南下し、さらに西へ流れをかえて秋田県鹿角盆地へ行って北へ向きを変え、ふたたび流れを西にかえて能代市で日本海にでている。 ...続きを見る

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2018/07/18 10:49
D 米代川上流域、鹿角の遺跡
D	米代川上流域、鹿角の遺跡  合掌土偶と天然アスファルトが出会う縄文時代後期(前1000年〜前2000年)の米代川流域には、伊勢堂岱遺跡や大湯環状列石に代表される、大小の配石遺構が多く発掘されている。 ...続きを見る

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2018/06/26 09:35
長木川へ、塚ノ下遺跡出土の土偶
長木川へ、塚ノ下遺跡出土の土偶  現在、国宝に指定されている“縄文土偶“は、風張T遺跡の「合掌土偶」をはじめ5点にのぼる。 ...続きを見る

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2018/06/24 11:27
B 米代川上流域へ・大館市の遺跡から
B	米代川上流域へ・大館市の遺跡から  米代川に長木川が合流する北側の台地上に川口集落がある。国道7号、奥羽本線、集落内をつらぬく旧国道7号は旧羽州街道の後身でもあり、古くから交通の要衝として開けていた。 ...続きを見る

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2018/06/23 19:43
土瀝青、米代川を遡る@北秋田市「藤株遺跡」
土瀝青、米代川を遡る@北秋田市「藤株遺跡」  能代市(旧二ツ井町)烏野(からすの)上岱(うえだい)遺跡で精製された土瀝青(天然アスファルト)が、八戸市風張(かざはり)T遺跡から出土した「合掌土偶」の補修につかわれたとすれば、どのような道をへて出会ったものなのか。 ...続きを見る

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2018/06/22 11:51
土瀝青(天然アスファルト)も旅をする
土瀝青(天然アスファルト)も旅をする  縄文時代後期後半(紀元前1500年頃)の八戸市風張T遺跡から出土した合掌土偶は、土瀝青(天然アスファルト)によって修復されていた。修復に使われた秋田産の湧出地、駒形不動沢に近い鳥野遺跡は中期後葉〜後期初頭(紀元前1500年〜紀元前2000年)にかけての集落で、その遺構の形態や多量の黒曜石出土などから当時の拠点的集落だった、と報告書に記載されている。 ...続きを見る

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2018/06/13 15:17
もう一つの秋田産アスファルト―旧二ツ井町駒形不動沢と烏野(からすの)上岱遺跡
もう一つの秋田産アスファルト―旧二ツ井町駒形不動沢と烏野(からすの)上岱遺跡  天然アスファルトの重要な供給地は豊川油田地域であると推定され、縄文人は地層の間などから自然に滲みだしてきたアスファルトを集め、ほとんどそのまま使っていたのだろうと想像されていた。 ...続きを見る

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2018/06/11 09:41
合掌土偶と旅をする
合掌土偶と旅をする  現在、合掌土偶は旅にでている。 ...続きを見る

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2018/06/08 10:49
森吉山北麓・地蔵岱遺跡へ
森吉山北麓・地蔵岱遺跡へ  出羽国の名の由来は『昔この国より初めて鷹羽を献ず、その羽出るところを以って号とす』という説が、江戸期の秋田で流布したという。名称由来の説は論外だが、鷹の羽が出羽国からの重要な献上品の一つだったことは史書に記されている。 ...続きを見る

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2018/05/30 17:38
緑釉陶器が来た道−津軽地方
緑釉陶器が来た道−津軽地方  緑釉陶器は、青森市内の新田(にった)(1)遺跡からと、旧浪岡町地区の上野(うえの)遺跡の二ヵ所からも出土している。 ...続きを見る

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2018/05/28 12:28
緑釉陶器が来た道、払田柵から日本海へ
緑釉陶器が来た道、払田柵から日本海へ 野辺地二十平(1)遺跡/10c/近江産、 三沢市平畑(1)遺跡/10c前〜10c後半/京郊外篠窯産、 八戸市熊野堂遺跡/10c後半〜11c/近江産 ...続きを見る

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2018/05/19 13:04
緑釉陶器の来た道、近江の窯跡
緑釉陶器の来た道、近江の窯跡  緑釉陶器とは、緑色の釉薬(うわぐすり)をかけて焼き上げられた陶器で、釉薬の原料である銅は当時貴重品であったことから、最高級品として取り扱われた。 ...続きを見る

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2018/05/17 11:58
『緑釉陶器』の来た道、八戸市熊野堂遺跡
『緑釉陶器』の来た道、八戸市熊野堂遺跡  この連休中から開催されている「掘りdayはちのへ」発掘資料展を見学するために、初めて八戸市の「是川縄文館」へ行ってきた。  R340笹子交差点から左折して、ウネウネと下る道は相変わらずだが今は上を八戸久慈道という自動車専用道が走っている。 ...続きを見る

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2018/05/16 12:17
『緑釉陶器』の来た道 野辺地町二十平(はたちたい)(1)遺跡
『緑釉陶器』の来た道 野辺地町二十平(はたちたい)(1)遺跡 <野辺地町二十平(1)遺跡図―同報告書から> ...続きを見る

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2018/05/14 18:37
『緑釉陶器』の来た道 − 三沢市平畑(1)遺跡
『緑釉陶器』の来た道 − 三沢市平畑(1)遺跡  野辺地から三沢市へ向かう県道野辺地-八戸線を東北町李沢(すももざわ)で大きな坂を下りはじめると前方に小川原湖が横たわってみえる。 ...続きを見る

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2018/05/13 09:45
越後へ、奥山荘ふたたび
越後へ、奥山荘ふたたび  R8からところどころにチューリップの花がみえるので、富山県にはいり小矢部から砺波へ回り道をした。  田園風景のなかを市街地にあるチューリップ公園へむかうと、「休園中」とフェアは「4月20日〜5月5日」との案内板が立っていた。 ...続きを見る

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2018/04/29 12:30
鳥取砂丘へ、「紙漉きの村」黒谷へ
鳥取砂丘へ、「紙漉きの村」黒谷へ  たつの市内を南北に流れる揖保川にそって北にむかう。R179は出雲街道の名があり、国道番号を変えながら岡山県津山市、鳥取県米子市をへて松江市で島根県へ出る古代からつづく道である。 ...続きを見る

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2018/04/28 13:13
瑜加山と播磨国浦上里
瑜加山と播磨国浦上里  江戸期金毘羅大権現と“両参り”といわれた瑜加(ゆが)大権現へは、丸亀から船にのり、瀬戸内海対岸にある児島(倉敷市)へ海上六里(およそ24km)の道をわたった。  当初は下津井の吹上湊がおおかったが、“両参り”が盛んになる江戸中期からは瑜加山に近い下村湊・田の口湊がにぎわうようになった。もっとも近い田の口湊からは“36丁(およそ4km)”の道のりだった。  瑜加山への参道(瑜加往来)は東西南北に通じていて、大坂方面から海路でくる参詣客は日比湊(玉野市)でおりて参拝にむかうこともあった。 ... ...続きを見る

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2018/04/27 13:52

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