アラ・ハバキの「道の奥」廻り

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zoom RSS 出羽へ、横手市・由利本荘市をへて酒田市へ

<<   作成日時 : 2017/05/20 11:08   >>

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 出羽への旅三日目の朝いちばんに、横手市の大鳥井城跡にいってみた。

 旧国道13号沿いにある高校の登校時間とかさなり、学生を送ってきたらしいクルマや校門で迎える教員等の姿を多く目にした。
 史跡は、住宅地のなかの江戸期の羽州街道ぞいにあり、大鳥公園として整備されていて多目的広場のほかにプールやテニスコートがそろい、散歩にもいい場所のようだ。


 ここは、奥六郡(胆沢郡、江刺郡、和賀郡、紫波郡、稗貫郡、岩手郡)を勢力下においた安倍氏とならんで出羽仙北三郡(「山北」「仙福」「仙乏」とも、仙北郡・平鹿郡・ 雄勝郡)にたつ清原氏の拠点といわれる。そして建物は平泉の柳之御所遺跡に似ていたらしかった。

 公園にはいるときはそれほどの高さを感じなかったが、杉の大木のあいだをゆるやかにあがって神社のある頂上から西側をながれる横手川は絶壁の下にみえ、東側の土塁とともに堅固さをかいまみせていた。


<大鳥公園案内板から>
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<史跡案内図から>
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 天気情報どおり朝から曇っていて、昼ごろからは雨も落ちてくるようだ。

 そんな空の下、まだ田植えまえの水田が広がる道を雄物川に近づいていく。雄物川中央公園では満開の八重ザクラのなか、ゲートボールをいそしむ人たちの声がし、郷土資料館の外壁には「後三年の役」合戦図がかざられていた。

 蔵光院をめざしていくと、史跡「沼の柵址」推定地は住宅地の奥まった場所で隣には旧雄物川北小学校がある。雄物川中央公園付近から一帯が「沼の柵」ではなかったろうか?とされている。

 雄物川をわたって大森地内まで足をのばし、八木沢で保呂羽山波宇志別神社の守護の神門として建立されたという「仁王門」をみたあと、引きかえして「観音寺廃寺跡」へ寄ったのだが児童館内に遺跡説明板がるだけだった。  八木沢と観音寺のどちらにも「菅江真澄の道」の「雪の出羽路」の標柱が建てられていた。


<沼の柵推定地>
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<観音寺廃寺跡説明板>
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<沼の柵から大森周辺図>
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 雄物川沿いに南下してR107へ出、すこしの峠越えをして東由利へ、さらに本庄市街をぬけてR7をいって道の駅西目で休憩。となりには菜の花が満開で迷路もつくられていた。

 ここから雨になってきた。
 
 中世に由利氏が本拠とした浜館公園へは、まちがって搦め手?から細い道を上り、展望所から日本海をながめたあと、雨にぬれた砂地の遊歩道を本丸までいってみた。

 ひどく雨が降ってきた。

 なんとか井岡集落までたどりついたものの、とくに史跡案内もないようで地形を一人合点にみておわり、酒田市内へむかった。

 平泉藤原氏ゆかりの伝承をつたえる「泉流寺」は市立図書館にとなりあっていた。
 周辺は寺町らしい。境内にはいってすぐ左手に徳尼公廟所の扁額には「瑞従徳」とあり三十六人衆之碑の大きな石碑がたてられていた。


<由利本荘市西目町案内図から>
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<浜館公園からみる日本海>
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<井岡集落中心部>
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<泉流寺>
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<徳尼公廟所>
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