アラ・ハバキの「道の奥」廻り

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zoom RSS 平泉藤原氏の郎従・照井太郎の伝承

<<   作成日時 : 2017/06/26 09:31   >>

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由利八郎が切りつけたという志和稲荷街道ぞいの「錦戸太郎の墓」と似たような伝承が、宮城県大崎市岩出山町の来迎寺にある。

こちらには、同じく平泉藤原氏の郎従・照井太郎高直の名がでてくる。照井太郎高直は下野目の大崎八幡勧請し、丸山城を築城したとつたえられている人物。


文治五年(1189年)、韮神山の戦いで敗死した照井太郎高直の烏帽子(兜か?)が来迎寺の前の田に飛んできておちた。その田が実らなくなって永い年月を経た万延元年(1860年)というから幕末の頃に、里人は万霊塔をたてて照井太郎高直もいっしょに弔った。

それから来迎寺の門前に夜な夜な怪物が現れて通行人を悩ませるようになったため、伊達家家臣山崎弥五郎が怪物退治に名乗りを上げ、一刀両断に切り捨てた。翌日、切り捨てた場所へ行ってみると万霊塔の上部が切断されていて怪物は現れなくなり、くだんの実らなかった田は来迎寺の所有にし、改めて照井太郎高直らを弔ったという。


<岩出山町関連まっぷ>
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<万霊塔/照井高之氏のブログから>
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また宮城県大川原町には、照井太郎高直の愛馬の話しが伝えられている。

−照井太郎が討死にした日の夕方、体中に矢が突き刺さった馬が現われてバッタリと倒れた。ここの里人たちは、 「照井様の馬ではないか ? 」と矢を抜いて優しく体をさすってやった。
すると、その馬は立ち上がり苦しそうに歩きだし、里人たちがあとをついていくと、何度も地面を踏み始めた。みると、馬の足跡から清水がコンコンと湧き出していた。
そして倒れて死んでしまった馬を哀れに思った里人たちは、塚を築いて 弔った という。−
                    『大河原のざっとむかし〜大河原の民話と伝説』


<大川原町、小山田城址の遠景>
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「照井太郎」の名は吾妻鏡にはないが、平泉周辺から韮神山のある大河原町までの広い範囲で伝承のなかに生きている。



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