アラ・ハバキの「道の奥」廻り

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zoom RSS 平泉藤原氏郎従、「照井」歩き@

<<   作成日時 : 2017/06/15 08:12   >>

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奥州市前沢区の国道四号バイパスが旧道を合流して、道が上がりはじめたところに立っていた牛の博物館と白鳥館遺跡の案内標識にしたがって左折するとまもなく、やや小高いところにある牛の博物館の駐車場に、ふるくは白鳥村といったこの地区の史跡案内板がたっていた。

<白鳥マップ>
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 案内板にはめざす「照井館跡」の絵も描かれ、説明には「秀衡の重臣照井太郎高直をしのんで建てられた石碑があり」ともあった。説明にしたがってクルマをはしらせたが、その石碑がなかなかみつからない。

 おもいあまって白鳥館遺跡案内所で聞いてみようと、クルマを乗りつけたらボランティアガイドの腕章をつけた係員がよってきた。白鳥館遺跡を見学にきたわけではないので、先手をうつように「照井館跡」をさがしている旨をつげると、そっちはよくわからないからとプレハブの案内所にいた先輩にきいてくれた。
 さらに、その先輩と直接話してみると、まえは石碑だったか標柱だったかはあったのだが、場所が私有地でもあり取のぞかれたようだという。場所は「牛の博物館の南側の水田一帯が照井館跡のようです」と言い、町の図書館には参考になる図書もあります、とつけ加えてくれた。

 牛の博物館の南側にひろがる水田には「南陣場土地改良区」名の開田碑がたっていた。国道四号線と東北自動車道を越えた先にある中尊寺はそれほど遠いわけではないが眺望をじゃまするものもあって見えない。

 旧町立の図書館によってから平泉町中心部をへて一関市厳美渓にでた。

 照井一族が力を尽くしてきづいたと伝わる用水堰をさがして、さらに山手にむかうと照井水神と刻した石の標柱が立っていた。参道となっている二段階の石段をあがるとちいさめの祠があって、横に顕彰碑もある。
 磐井川から堰への取水場所は確認できなかったのは残念だったが、道路にちかい場所をながれる照井堰とおもわれる堰をみながら、毛越寺までもどり裏手にある水門を見て一関市中里へ移動した。

 旧東山町方面への県道をいくと、東北本線をくぐり東北新幹線をすぎる。このあたりが旧中里村のようだった。前堀公園から方角をさだめて神社の位置を確認してまもなく無事にたどりついた。

 となりの集会所のまえに三人のおばあさんが井戸端会議。
 本殿のうしろに文治五年の奥州合戦で鎌倉軍に韮神山でやぶれた照井太郎と伝わる五輪塔が祀られていた。800年余をへての風化がひどく文字はみえない。
 南側をながれる磐井川とのあいだには堤防がある。その築堤のため神社も五輪塔も現在地に移されたもののようで、照井氏の館跡の場所もまた定かではない。



<R4,照井館跡南の徳澤坂から>
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<厳美渓奥の照井水神>
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<現代の照井堰>
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<毛越寺裏手の照井堰水門>
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<伝照井太郎の五輪塔を祀る照井神社>
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