アラ・ハバキの「道の奥」廻り

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zoom RSS 出羽へ、田川氏の周辺

<<   作成日時 : 2017/06/24 07:46   >>

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 きょうの始まりは昨日からつづく雨の中、寒河江から鶴岡をめざして月山新道をはしることだった。
 
 国道112は月山湖をすぎたところで山形道月山ICと合流して、無料の自動車専用の国道「月山花笠ライン」となり、湯殿山ICでふたたび別々の道路にわかれ、一般国道112号となっている。



 鶴岡ではじめにたずねる先は“井岡”の井岡寺。

 ここには文治五年(1189)、平泉藤原氏攻略の鎌倉勢北陸道軍を率いた比企能員の伝承がのこっている。R112からR345へはいり、鶴岡高等工業専門学校を目あてに“井岡さがし”をはじめたがたどりつけない。高専も目にはいってこない。ちいさな集落を転々と雨中の道を巡ったすえに、とうとうあきらめて次の目的地“田川氏ゆかりの蓮華寺”にむかった。

 このR345は鶴岡市街から山形県南の山あいの関川をへて鼠ヶ関へ通じている。


 まもなく湯田川温泉から大日トンネルをぬけるとめざす“田川”の中心部で、その南に古くにあった寺の名を集落の名としている蓮花寺についた。

 大山川にそった集落のあたらしい道を、どこから訪ねようかと決めかねているうちにはずれまでクルマを走らせたようで、南光院のまえにでた。傘をさして何枚か写真を撮りながら、ちいさな集落をながめ、このまま旧道にはいることにした。中ほどまで行くと蓮花寺公民館があったが、ほかにはなにも目にはいらず蓮華橋まできてしまった。

 この橋のたもとに「庚申」と「湯殿山」の石碑と石造の仏龕か?そのよこに小屋掛けされた宝篋印塔がならんでいて、「旗引川原の宝篋印塔」と題した説明板もたっていた。

 ここで、蓮華寺と田川氏を訪ねるにもっともふさわしい人と出会うことができた。
 仮にSさんと呼ばせてもらう。農作業からひきあげる途中だったらしいSさんは遠来の訪問者に声をかけ、ことこまかにあれこれの由来を語ったうえで、田川太郎と伝えられる五輪塔の場所がわかりづらいからと案内までしてくれたのだった。


<蓮華寺集落マップ>
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<蓮花寺バス停から>
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<蓮花寺橋たもとから>
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<五輪塔>
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 R345を関川までいくと、途中に関川〜平沢間で土砂くずれのため通行止めの案内板がでていた。当初はそのまま鼠ヶ関へ出るつもりだったが、関川の戊辰戦争史跡を確認してR345を湯田川までもどり、ふたたび“井岡”に挑戦した。まずは鶴岡高等工業専門学校さがし。
 水がはった田圃のなかをまっすぐに井岡につづく道からは、浮かぶ島のようなみえた集落のつきあたりにある井岡寺と遠賀神社を訪ねることができた。


 ここからR7で鼠ヶ関へむかう。“温海かぶのオブジェ”をかざる温泉場をすぎて、道の駅「あつみ」でおそい昼食をかねて休憩し、鼠ヶ関まで南下した。

 鼠ヶ関には新旧ふたつの関跡がある。
 R7沿いには「近世 念珠関址(ねずがせきし)」とあり、さらに「勧進帳の本家」の看板がたてられていた。新潟県境から旧国道をひきかえし、アリーナ近辺から鼠ヶ関をあるいてみた。
 雨も小止みになってきた。
 ほんとに民家と民家のあいだに「古代 鼠ヶ関址および同関戸生産遺跡」の案内板がある。家並みを見、山手に目をやり海をながめてひとまわりし、日本海をひだりに三瀬(さんぜ)にむかっった。

 三瀬は平泉をめざした義経一行と田川太郎が交差する地。その海岸にある「琴平岩古跡」から日本海をちょっと見し、雨のせいでもないだろうが薬師堂に比定される気比神社をみのがしてしまった。


<関川、戊辰戦争史跡>
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<井岡、遠賀神社と井岡寺>
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<近世念珠ヶ関>
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<古代鼠ヶ関>
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<三瀬地区図>
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<三瀬、琴平岩古跡>
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