アラ・ハバキの「道の奥」廻り

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zoom RSS 子規の句碑と水沢区真城の古道

<<   作成日時 : 2017/08/11 11:54   >>

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正岡子規は、1893年(明治26年)7月19日から8月20日までの約1ヶ月 間、芭蕉の足跡を訪ねて東北地方を旅し、「はて知らずの記」を著 した。

この旅の最後の宿泊地黒沢尻(北上市)到着の8月17日は旧暦の7月6日にあたり、「七夕といふ風雨烈しく吹きすさみて天地惨憺たり」という空模様だった。

灯のともる
雨夜の桜
しづか也

おかげで足止めをくらい二泊して19日午後、子規は水沢駅から夜汽車にのって帰京している。


その句碑がある北上市内の雷神社に立ち寄ると、子規が訪れた当時の社地は北上駅近辺にあったようでここではないとある。旧岩手県南バス北上営業所付近と書いてあるが、その県南バスもいまはない。


北上市内には子規の句碑が和賀町横川目の石羽根ダム湖畔広場にもあるそうで、となりの西和賀町から秋田県美郷町にこえる「子規古道」もある。

そのゆかりで国道107号線の一部は「子規ライン」の愛称がついている。

<北上市・雷神社>
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奥州市水沢区の折居地内に、旧奥州街道の古い形がのこっているという。これが鎌倉みちにつながるのではないだろうかと期待をこめて探してみた。

−はじめは、折居の宿(※間宿)から西へ坂をのぼって、上台を通り、沢、谷を越えて(中林遺跡に道跡あり)、真城の浜田、塚を経て、水沢の大鐘から水沢公園東の愛宕社参詣道に入り袋町に至ものでいたが、明暦4年(1658)頃に切替となり、上台下を小山崎に至り、坂を越えて松原法華寺(妙法寺)後ろから袋町七軒小路(水沢町の南出口=南町)に抜けました。
 この道は新道といい昭和初期まで水沢農学校の桑園(実習地)になっていましたが今はありません。切替えられた道はさらに明治19年頃再び切替られ、現在の小山崎の東下を廻り袋町端の七軒小路につながりました。(「水沢市史3より」)−「奥州街道ぶらり散策」水沢区真城地区振興会発行

とくに案内もないので沢に沿って台地へ上がるとみられる道をさがして一度目は空振り。二度目にはいった道のさきに分岐があり、そこに山神社があった。小牛田山神とあるが、宮城県の小牛田町と関連があるのかどうか?



<真城地区の古道マップ>
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<小牛田山神わきからの古道>
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このあと、衣川の関を訪ねた。

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