アラ・ハバキの「道の奥」廻り

アクセスカウンタ

zoom RSS 七時雨から犀川・贄の里まで 続

<<   作成日時 : 2017/09/05 10:32   >>

ナイス ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

≪犀川周辺の“藤原”伝承から≫

878(元慶2)年に秋田県北部一帯におきた元慶の乱を記した「日本三代実録」では、鹿角市辺は『上津野』、また比内地方は『火内』と表記された。その1、100年前に記録された「ムラ」の名称は現在、鹿角市文化財保護協会の機関誌「上津野」、また大館郷土博物館研究紀要「火内」としてひきつがれている。


湯瀬の峡谷から鹿角盆地にでたところにある大日神社(大日堂)に隣接する古刹吉祥院の石段をあがって本堂まえにでると由緒碑がある。

−(略)中世の初め藤原秀衡の庶長子国衡の庇護を受け、平泉関山中尊寺の影響によって天台宗となり、養老山吉祥院と称し、大日堂と共に里人の信仰の中心となっていった。(後略)−

だんぶり長者の伝説が「養老の滝」伝説の影響をうけたものであることをうかがわせる山号とともに、平泉藤原氏のかかわりに“国衡”をもってきたことも興味深い。


小豆沢は中世の城館もあった高台の地で、そこからは米代川をこえた大葛金山につながる山地にすいこまれるように道がつづいていた。
これが奥大道のなごりなのだろうか。

石鳥谷集落から夜明島川の上流部にいくと桃枝(とうじ)集落があり、ここは“藤原氏の落人伝説”を伝えていて、巻山峠をこえて大葛金山にぬける道があったという。
いまは石鳥谷地内からトンネルをぬけて大葛へでる県道がつうじている。

巻山峠からおりてきた道は金山林道と名はかわっていて、ちょうど金山精錬所跡の碑がたっている県道端で合流していた。
金山墓地の入り口には説明板がたち、川をこえたところに墓地がある。

犀川に合流したあたりにあるという鎌倉時代の五輪塔をさがしたが、とうとうみつけられなかった。
犀川の流れにそった集落には五輪台地名と五輪塔があり、藤原泰衡の伝承とかかわっているという説がある。
一つだけ確認できた森越集落の五輪台では「森越庚申堂」というりっぱな堂と説明札がたてられ、その南側に隣接して“五輪様”が祀られていた。

<犀川沿いのマップ>
画像


<道の駅ひないにあるだんぶり長者の碑>
画像


<大葛金山墓地説明板>
画像


<森越・五輪台の庚申堂>
画像



中世の城館跡のある独鈷をすぎて、おなじく中世の長岡城跡でもある道の駅比内で休憩。

道の駅からはほど近い米代河畔にある扇田神明社をたずねた。ここは、文治年間(12世紀後半)の神明社御用日記に「伊勢堂の杜に祠あり」という記録があるそうで、古い。伊勢堂という地名は達子森の西にある片貝地内にある。
達子森ふもとを通り、片貝から八木橋へでて西木戸神社とその周辺の溜池に咲いていた白と赤のハスの花をみたあと、陣ノ腰をひとまわりして仁井田にはいった。

仁井田はなんどかおとずれている。

今回は犀川から錦神社だけにした。
錦神社という名は、泰衡が着ていた「錦」の直垂に遺体を大事に包んで埋葬した墓が、「にしき様」と呼ばれたことに由来しているという。
もう夕方にちかい時間となっていたから赤く咲いたハスの花はややしぼみかげんになっていた。

<贄柵周辺マップ>
画像


<八木橋地内にあるため池のハスの花>
画像


<錦神社のハスの花>
画像

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 2
ナイス ナイス

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
七時雨から犀川・贄の里まで 続 アラ・ハバキの「道の奥」廻り/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる