アラ・ハバキの「道の奥」廻り

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zoom RSS 大館・比内地方の遺跡から

<<   作成日時 : 2017/09/26 19:27   >>

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『吾妻鏡』に比内郡、また肥内郡贄柵と表記された地は現在の大館市や市内仁井田が有力な擬定地となっている。

元慶2年(878)の元慶の乱で蜂起した地は上津野(鹿角)、火内(大館・比内地域)、榲渕〈すぎぶち〉(鷹巣・阿仁)など米代川流域の六つの村で、はじめてこの地方が歴史に登場する。

その後

天慶の乱  天慶2年(938)  
前九年の役 永承6年(1051年− 康平5年(1062年) 奥州十二年合戦とも
後三年の役 永保3年(1083年)−寛治元年(1087年) 後三年合戦とも

をへて、平泉の藤原氏が清衡から基衡・秀衡・泰衡までのおよそ百年間にわたって奥羽二州に大きな勢力を維持した。


大館・比内地域〈比内また肥内とも表記〉では、前九年の役の頃には新しい勢力が芽生えはじめ、平泉の藤原氏の勢力が奥羽二州に及ぶ頃には豪族の河田氏がこの地域を支配していたと考えられている。
河田次郎の本拠地は現在の大館市二井田にあったと考えられており、贄〈にえ〉の里という地名が残っている。



この地方の遺跡発掘調査によれば、奈良時代の遺跡が1ヵ所、平安時代の遺跡が約90 ヵ所確認されているが、10世紀以前の遺跡は扇田道下、山王台などの数ヵ所が確認されているだけだという。

10世紀をむかえると遺跡の数は急増し、家数も大規模になる。代表的なムラが大館野遺跡で、数十軒の家が建ち並び、鉄を生産し、煮炊きには土師器を、貯蔵には津軽の五所川原産の須恵器を使っていた。この後、平安期の屋根跡の発見があった片貝家ノ下遺跡がつづく。

寺社では、矢立廃寺(出土遺物から平泉藤原氏との関連が深い寺院跡)、松峰神社(かつては真言宗松峰山という寺で開基は平安初期とつたえ、大館地方で最も古い歴史をもつといわれる。)、扇田神明社(長治2年(1105)創建と言われ、文治年間(12世紀後半)の神明社御用日記に「伊勢堂の杜に祠あり」という記録がある。)
さらに、源義経の伝説をもつ鹿戸ノ沢神社やそれぞれ藤原泰衡とその妻を祀る錦神社と西木戸神社がある。


<遺跡からみる大館・比内地方マップ/秋田県遺跡地図から>
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 道の駅「ひない」から比内町扇田の中心街を通り、右折して米代川をわたると山館遺跡なのだがとくに標識はみられない。ここの三叉路にあるY製菓という看板に見覚えがあって、ようやく思い出したのが二三日まえに野辺地のMAXバリューで買ったパン屋さんの名であった。

 大館南アクロスプラザという郊外ショッピングセンターにクルマをおいて、餌釣集落へあるいて五分。江戸期からつづく道なのではないだろうかと思わせるような、せまくまがる道が交差する中心部にはコンクリートでつくられた家形の祠のなかには部外者にはわからない大石小石が祀られていた。こことは別にショッピングセンターの北に祀られている日吉神社のある一帯が餌釣館遺跡で、やはり小高い地形になっていた。圃場整備工事中で水田との際には近寄れなく、大館南バイパスをこえて県立鳳鳴高校からポリテクカレッジ秋田へむかった。

 扇田道下遺跡の上に立つカレッジの裏手にまわると、鎖のはった道に「森の歴史 田屋」という標柱がたち「天拝沢稲荷宮」という知らない名のちいさな建物があった。

 西の山際にある「長根運動公園」をとおり、円形ドームをめあてに大茂内にでる。ここにある「塚ノ下遺跡」と「諏訪台遺跡」からは縄文や平安期の住居跡が発掘されている。奥大道もこの地を通っていたという有力な説があるもあることから、大館・比内をさす『火内』の中心部と擬定したい気もする。

 大茂内からは民家のない山中の道が白沢へぬけている。国道七号線のすこし手前に鹿戸ノ沢神社があって、大館野遺跡や矢立廃寺もちかい。


<餌釣集落にあった石造物>
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<餌釣館遺跡の森>
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<大茂内の諏訪神社>
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<大茂内から大文字焼き犬文字>
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<鹿戸ノ沢神社の義経伝説>
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道の駅「ひない」からほど近い米代川の河岸段丘に扇田神明社はある。≪伊勢堂の杜≫はわからないが、伊勢堂の名が残っている地は扇田伊勢堂岱、赤石伊勢堂岱、片貝伊勢堂東などが地図にはみえる。境内に古さをつたえるモノはみつけられなかったが、O氏の顕彰碑につづられた漢文のなかに「・・贄國・・」の漢字があったのにはおどろかされた。

 片貝の集落は達子森のふもとにあり、ぬけると水田がひろがっていた。引欠川からふりかえってみると片貝は小高い地形の上にあるのがわかる。遺跡表示はなかったが水田とそのさきにある工業団地のあいだが範囲となっている。南には西木戸神社のある八木橋集落もちかい。


<扇田神明社にあった碑文の贄國の文字>
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<片貝家ノ下の風景>
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