アラ・ハバキの「道の奥」廻り

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zoom RSS 出羽・海辺庄とその周辺

<<   作成日時 : 2017/11/12 12:57   >>

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由利本荘市やにかほ市の史跡を訪ねながら県境をこえて、いよいよ遊佐(ゆざ)町にはいった。

やや小ぶりな道の駅「鳥海」で小休止がてら別棟となっているラーメン店で昼食をとったら、9月の下旬にもなろうとしている季節なのに汗をかいてしまった。


<由利本荘市から鳥海山>
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<青々としていた日本海>
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山形県の庄内平野には三カ所の荘園が12世紀ころまでに成立したとされ、「大泉庄」は赤川流域と京田川南側辺り、「遊佐庄」は最上川北から遊佐辺り。

そして海辺荘は「和名抄」に見える出羽郡余戸郷にあたる地域と思われる庄内平野の中央部,最上川の南,京田川以北の穀倉地帯で,西は日本海に面し,東は最上峡および立谷沢の山間部に続く。
海辺荘の初見は「吾妻鏡」建久元年(1190)1月6日条で,平泉藤原氏の残党大河次郎兼任は反逆を企て,伊予守義経と号して「出羽国海辺庄」まで南下する気配を示した、と一書にある。


<海辺荘周辺歩きマップ>
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<海辺荘・遊佐荘・大泉荘図/山形県地域史研究から>
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道の駅をでてR7からすぐにR345に左折し、遊佐町北目集落のはずれにあった三上神社をみたあと町役場のある中心部にむかった。
月光(がっこう)川周辺にある大楯遺跡やほかに二三の遺跡をさがし、たわわに稔った稲穂とその背景となっている鳥海山をみて歩いた。

R345号線沿いには古代から中世の史跡がぞくぞくとでてくる。
町役場あたりから南へいくと城輪柵方面に折れる道があり、そこをすぎたところにある本楯には「古代文化財の里」が立てられていて、大物忌神社には新田目城跡の石碑と古びた案内板がたち、方形の境内の周囲は堀に囲まれているようにみえた。


<北目橋から>
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<大楯地内>
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<本楯−新田目>
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「平泉藤原氏の権力基盤に関する基礎的研究・中間報告(2)」には平泉藤原氏と出羽国との関係について、

−藤原頼長領出羽国大曽祢庄・屋代庄・遊佐庄の現地管理も基衡の任であった。一説に、比爪俊衡子息河北冠者忠衡の名字「河北」は庄内地方最上川北側の地域を指し、遊佐庄の河北大楯は忠衡の拠点であったという。秋田郡・由利郡・田川郡に所在する中尊寺領が認められる。−

とある。


ふたたびR345号線を南下し、右折して最上川をこえた。
旧余目町はいま合併して庄内町となっている。その町役場のある中心部に旧余目城跡という余目八幡神社があって

−(略)平安時代には奥州藤原氏の臣佐藤氏の氏神となり藤原氏滅亡後、源頼朝より宝重山神護寺余目八幡宮の称号をあたえられた(後略)−

という説明板が掲示してあった。

町役場周辺をそぞろ歩いたが、やや古みをおびた町並みの表札に佐藤の苗字がおおくあり、ひときわ広大な敷地をもつ酒造家もあった。


<庄内町余目周辺の遺跡マップから>
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<余目町の通り>
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<余目町の通り2>
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<やや祭りの里千河原>
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