アラ・ハバキの「道の奥」廻り

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zoom RSS 森吉山北麓・地蔵岱遺跡へ

<<   作成日時 : 2018/05/30 17:38   >>

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 出羽国の名の由来は『昔この国より初めて鷹羽を献ず、その羽出るところを以って号とす』という説が、江戸期の秋田で流布したという。名称由来の説は論外だが、鷹の羽が出羽国からの重要な献上品の一つだったことは史書に記されている。

その名にゆかりがあるのかどうかわからないが、旧鷹巣町で国道7号から左折して国道105号にのりかえた。仙北市角館まで100kmと道路表示があり、まもなく米代川をわたる。北秋田空港への秋田道をくぐると七日市でこんどは小猿部川をわたる。すこしの坂道をあがった台地はまっすぐの道の両側にサクラの木が植えられていた。

 旧森吉町の中心部だった米内沢のバイバスの下を流れているのは阿仁川で、しばらくはこの川の流れに沿って南へはしる。

<秋田城から北へ、交易の道>
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 津軽地方の上野遺跡と新田(1)遺跡へ緑釉陶器をもたらしたのは秋田城からの道だったと思われる。当時高級品だった緑釉陶器や灰釉陶器、そして輸入陶磁器の出土遺跡をならべてみると、現在の国道7号の沿線につながる。

 そのなかで、一か所沿線から遠く離れた場所があった。
 それが森吉山北麓の小又(こまた)川沿いにある地蔵岱遺跡だった。

 小又川が流れ込む阿仁川流域の地は、元慶二年(878)に秋田城を襲ったエミシ12ヶ村の一つ「椙淵」の名で史書にでてくる。この椙淵は鷹巣、阿仁一円をさすとみられるが、古伝承などを総合してみると中心地は阿仁川下流の増沢、木戸石あたりだろうといわれる。
 
 秋田城の重要な献上品のひとつに「熊の皮」もあるのなのだが、このあたりは「阿仁マタギ」でも有名なところだ。そんなことを考えながら、阿仁前田で国道105号と分れ、小又川にそっていくとすぐに「秋田内陸鉄道」の踏切を越えた。
 正面に、まだ白い斑点がのこる森吉山がみえる。

 一二度橋をわたって根森田集落をすぎると人家はなくなって、森吉山ダム(四季美湖)の交流館前についた。
 広く窓をとった館内の喫茶コーナーには在りし日の集落の様子が描かれた図や写真が盛りだくさんにあった。
地蔵岱遺跡は湖水の下になっていると思われ、発掘調査報告書をみると高台に位置しているようだが、そこへ行く道はなさそうだった。

 
<道の駅マタギの里>
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<小又川紀行図/交流館内>
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<菅江真澄の道/交流館>
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<ダム工事地形図/交流館>
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 2005年度の地蔵岱遺跡発掘調査では、環濠に囲まれた大規模な集落跡が検出されるなど、小又川流域における拠点的な中心集落であったようだ。
 灰釉陶器の碗、もしくは皿の底部破片を利用した硯が出土し、祭祀に関連する遺物として斉串が出土した。
 斉串は10 世紀以前の官衙関連遺跡で出土例が多く、秋田県内では秋田城、払田柵跡、厨川谷地遺跡、米代川流域の胡桃館遺跡、樋口遺跡で出土している。

 
<十四合同神社>
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<神社から地蔵岱遺跡方向>
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<集落跡石碑>
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