アラ・ハバキの「道の奥」廻り

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zoom RSS B 米代川上流域へ・大館市の遺跡から

<<   作成日時 : 2018/06/23 19:43   >>

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 米代川に長木川が合流する北側の台地上に川口集落がある。国道7号、奥羽本線、集落内をつらぬく旧国道7号は旧羽州街道の後身でもあり、古くから交通の要衝として開けていた。

 道をはさんで下川沿駅と下川沿中・川口小がある所を起点に東へむかうと、まもなく交番前の三叉路にでる。道なりに進むと踏切をわたって国道7号にでるのだが、左折して線路の北を並行していくと、まもなく人家が途切れ小さな沢がある。遺跡図と見比べると、このあたりが「川口十三森遺跡」のようだ。

 報告書によると、この遺跡は主に縄文前期のようで大型建物跡がでたことから、その時代の拠点的集落とされている。後期初頭の遺構や遺物も出土していることから、集落をつくる条件にめぐまれた場所だったようだ。陸路や河川の要衝が大きな理由のひとつだったのだろう。


<川口十三森遺跡周辺図>
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<旧羽州街道沿いに立花神明社>
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 米代川に並行するように走る大館南バイパスを行くと、秋田道と立体交差する大館南インターチェンジ(IC)の次のICが池内(いけない)遺跡の発掘場所となる。ここの遺跡で注目される出土品は黒曜石と琥珀で、いずれも遠距離から到来する代表的な遺物だ。また、縄文前期の拠点的集落だったとされるのは、大量の魚の骨が出土したことも大きな裏づけとなっている。

 「報告書資料編5」には

―サバとホシザメである。その他に、ヒラメやニシン、サケ類やコイ科の魚類など計14 種以上含まれていた。頭部の骨がまったく見られないので、頭を落とした状態で、このムラへ運ばれたと推測される。加工後に交易された可能性が高いことである。―

とある。
 大型住居と呼ばれる規模の竪穴住居が集中して分布していた舌状台地の両側の谷、とくに西側の「ST639谷」と番号のついた谷から上記の魚の骨が大量に出土したと報告書にある。


<池内遺跡周辺図と“ST639谷”の位置>
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<池内八幡神社の周辺>
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<萩ノ台の谷>
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 インターチェンジ(IC)の工事によって地形の変化がわかりにくいものになっているので、遺跡範囲外の八幡神社からICの周りを一巡した。神社の参道石段の途中から、わずかに米代川の位置がわかるが、木々のあいだになっていて見通しがきかない。本殿まであがるとやや下方に南バイパスが走っていたが、谷の位置はよくわからない。石段を戻って神社下の裾をまくような道をはいったがヤブが深いので引きかえし、もうひとつ外側の道をいくと人家の前で行き止まりになっていた。

 池内遺跡とは大きな谷をはさんで西にならぶ萩ノ台U遺跡は、装飾品である翡翠(硬玉)製の大珠が 3点も出土したことで有名だが、時期的には池内遺跡の後継の集落跡のようで、縄文前期後半から中期半ば、そして後期前半と長い年月つづいた遺跡という。
 旧国道103号からは急坂となっていて、さらにせまく対向車がきてゆずりあって上がると新興住宅地のさきの平坦地にわずかに畑地が残っていた。東がわを走るバイパスにむかって切れ込みように谷が一か所あった。池内遺跡もこのような谷が何か所かあったのだろう。


 大館南バイパスを鹿角市方面にむかうと、米代川が近づいたころ対岸は扇田地区となる。扇田大橋を右手にやりすごし、果樹園のならぶ中をコンビニから左折する。いったん山にむかった道は方角をかえて国道103号と並行して東へ向かう。この高台の道の両側はリンゴやナシなどの果樹園が続いていた。

 小さな流れがあるところでクルマを停めた。
 この中山沢川の対岸が寒沢遺跡だった。ここでは縄文時代後期の3軒の住居跡のうち一軒からアスファルトの塊が出土している。隣接する寒沢U遺跡などの成果と合わせて推察すると、縄文時代早期から後期に至るまで居住域=ムラが台地上を移動しながら営まれたとみられている。

<寒沢遺跡図>
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<寒沢橋と中山沢川>
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