アラ・ハバキの「道の奥」廻り

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<<   作成日時 : 2010/07/25 21:48   >>

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−金刀比羅宮参詣道の大鳥居 -

江戸時代半ばごろから漁業航海を祈願する金刀比羅宮(江戸期は金比羅大権現)への信仰が盛んになり、参詣する人たちも多くなってきた。


丸亀市から金刀比羅宮への参詣道は、丸亀中府−郡家−善通寺与北−満濃公文−琴平苗田を通っている。

丸亀中府には一の鳥居、琴平苗田に二の鳥居があるが、丸亀中府は城下町丸亀町口の起点で、江戸時代は城下と城外を分ける番所が置かれていた。



丸亀中府にある一の鳥居は、1871(明治4)年に花崗岩で造られた高さ6.6m、柱間4.5mのもので、額には「金刀比羅宮」とあり、柱には右に「天下泰平」左に「海陸安穏」と刻まれている。

<金比羅参詣道 丸亀街道マップHP[街道歩きの旅]より>>
画像


<丸亀中府の大鳥居>
画像





「香川県歴史の道調査報告書 第五集 金比羅参詣道 T」の巻末にある「街道沿いにある石造物」によると、

右の柱には「発起/世話人 塩飽島 尾上吉五郎」他の名が刻まれ、
左に柱には「長州赤間関 菊屋平七 奥州北部(郡か?)野村治三郎」他の名が刻まれているそうだ。


野辺地の豪商「野村治三郎」の名がここにもある。

尾上吉五郎って、浜町にある常夜燈に刻まれている「橘屋 吉五郎」のことだろうか?
残念ながら、私にはわからない。




丸亀市の年表によれば、

1943(昭和18)年、丸亀市中府町の大鳥居が地震で崩れたが、金毘羅宮が修復する。

とある。












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コメント(2件)

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これって、愛宕公園の石段に使われている
香川県小豆郡土庄町小海の
「残念石(残石)」とからんでますよね!?
まちBlog野辺地
2010/07/28 08:27
まちBlog野辺地さんへ

そのように思います。
野村家と橘屋とは永年にわたって交渉があり、
野辺地町に色々なモノをもたらしてくれました。

常夜燈まつりには、出番だったのでいけませんでしたが、ちなむものをと、つたない知識を披露してみました。
アラ・ハバキより
2010/07/28 16:21

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