鹿角市内の古墳群


 晴れて風もない五月の朝八時すぎ、湖畔の坂を上がり発荷峠展望所にでると、先客はなくちょうど売店が開いたところだった。平安前期の西暦915年には大爆発を起こした湖面を、今出航したばかりの遊覧船がすべるように静かに水際に沿って動いていた。

 展望台から数枚の写真を撮っておりたころ、乗用車が一台と観光バス一台が駐車場にはいってきたところで、大湯温泉までの道をくだり、新しくできた道の駅に立ち寄り一休みした。

<発荷峠展望台から>
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<道の駅おおゆ>
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 集落から鹿倉城跡のある坂道を上り、大湯環状列石前を通り猿賀神社前をすぎる道の両側は果樹園が広がる。

 この通称「風張台地」の舌状部南端に、古代の古墳群がある。寺坂集落から西へぬけると民家のさきは未舗装の道が畑地の間を通っていた。南側は崖となっているのが木々の隙間から見える。クルマをおりて歩をすすめるとやがて舗装した農道と交差し、変形の十字路となっていた。

 秋田県遺跡地図と照らしあわせると、この辺りが「鹿角沢Ⅱ遺跡」のようだ。南側に深く切れ込んだ沢があり、「捨てるな!」の注意書が立てられている。十字路までもどって、まっすぐの道を行ったところが「物見坂Ⅰ古墳」なのだろうが、農地とリンゴ畑があるだけで遺跡案内の標示板はないようだ。物見坂という名称はもっと先にある坂からきているらしく、リンゴ畑周辺は平坦な地形がつづいている。

<鹿角沢Ⅱ遺跡の辺り>
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<物見坂Ⅰ古墳の辺り>
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 低い場所から台地の南端部を見るために、国道282号錦木BPへまわり曲谷地の稲荷神社へ左折すると一本の標柱が目にはいった。「史跡枯草坂古墳群跡」とあり、そこには白地にー(東方550米)古墳の状況は既に破壊されているが、構造は「河原石積石石室の円墳」であったーと記されていた。

 稲荷神社の前から集落をぬけ、曲がりのある坂道をあがると、台地上には鉄塔が建てられていた。この坂道の途中右手に古墳があったようだ。上部ではなく斜面にあったということになる。


 鹿角市立十和田図書館によって、鹿角沢Ⅱ遺跡や物見坂Ⅰ・Ⅱ(2)報告書は閲覧、一部コピーができたが、枯草坂古墳については、内藤湖南の短文があるだけで遺跡報告書はないらしい。

 風張台地上には、6基の円墳が検出された大湯環状列石や申ヶ野にも古墳群があるようだが今回は割愛した。

<枯草坂古墳群標柱>
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<枯草坂>
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<風張台地の遺跡図>
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<鹿角沢から物見坂の遺跡図>
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 市街地の花輪から尾去地内へでて、米代川の河岸段丘上には「三光塚古墳」があり、円墳の原形を保つ様子を撮って、鹿角市内をあとにした。

<三光塚古墳>
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